樹木葬と永代供養

樹木葬と永代供養
しだれ桜の樹木葬と永代供養の「弥勒の塔」

2011年5月14日土曜日

地域の寺を育てよう。

■議員報告■                         2011.1. Vol.10

                                      西山浄土宗宗議会議員 栗 田 利 竜


地域の寺を育てよう。

西本願寺さんは宗議会の縮小始め、宗門運営の機動化を計るとか・・・

本気で改革に取り掛からねば成らないところまで来ているというか、東のボンボンより西の坊ちゃんがしっかりしているのか、今までは波風の多い東のほうが”民主的”でマシと言われて居たのですが・・・

どこの宗門も、どうにもならない事態を迎えているのに一向に動こうとしていません。
まず収入の頼りとしている葬儀については、家族葬とか直葬だとかが大流行で、鉦叩きの坊さんは大慌て、葬儀屋の裏口にこっそり営業したりして、すっかり舐められています。葬儀が無くなって行くのは、金が無い、宗教的離れと言うだけの理由ではありません。これは地域のお付き合いが壊れたからです。

日本の場合、宗教に無関心なのは今に始まったことでは有りません。宗教を気にしなくても生きてゆけます。国全体が家族で、皆日本教の氏子でしたから。、宗旨にも宗派にも拘りは有りません。最近は平気で菩提寺を捨てて移って行きます。

坊主が気に入らない、寺掛かりを安く、永代供養で先祖を預けてしまいたい、・・・これが三大要素です。永代供養や墓地で檀家を増やす等というのは嘘です。

それで、今まではリタイアしても地域の中で生きていましたから、お別れが必要でした。昨今のリタイアメントは社会的な死で、死のうが飢えようが周囲は無関心です。だからいつまでも生活資金に拘っていなくてはなりません。以前なら家族や地域に任せておけば良かったことが、いまでは家族まで金の切れ目が縁の切れ目、お世話に成らないように(笑)と怯えなくてはなりません。

責任の一半は本人にもありますが、社会の流れには抗いようがありません。遠く離れた町に住み所帯を構えた子供達には、故郷での親の暮らし、隣人達との誼に思いが至りません。自分が住む町や地域のお付き合いも薄く、終身雇用が崩れ皆がフリーターもどきになった職場で過ごしているのですから

寂しいことですが、亡くなってもお参りのない人が多くなりました。隣人に挨拶する日常すら無いなら、宗教的な情操があっても、ことさら告別式や葬式の必要はありません。子も孫にしても、日常がそれなら金の切れ目が縁の切れ目です。まして、別居してジジババに暮らしの中でのよしみがない場合は、その死にも思い入れは有りません。

死ぬことは生きることだと言います。宗教はこれです。後生を願うな、過去を思うなと言っているのではありませんか。今を生きる知恵が親にもお子にも求められているはずです。

たとえ宗教的な条件や環境がなくとも、亡くなった時、生前の交誼を懐かしみ、恩義に感謝し人々が参集してごらんなさい、子や孫は放っておけません。何を思ったか葬儀をケチったつもりが、いつまでも弔問の客が途絶えず、散々な目に遭った家も有ります。結婚式と同じです。

教団も寺も、今までの仕組みが壊れてきた以上、社会的な不要物に成る気がないなら考えなくてはならないと思うのです。宗教という哲学を旗に、社会的に必要な存在としての切り口を考えなければなりません。社会の仕組みの中に存在価値を示し、生きる道を探さなくてはならないと思うのです。

私はそれが、さしあたって高齢者福祉であり、寺子屋であり、コミュニティーセンターであり、カルチャーセンターでありと思うのです。過疎の田舎なら新聞もダスキンもヤクルトも、ジジババのオムツ宅配も寺がやればよいと思っています。(笑)結構な器と顧客を既に持っているのですから。

今は公務員が自分達の給料のために不必要な人数居座って居ます。国家の全歳入が役人の給料です。あり得ない話です。それなら寺が役人に引導を渡せばよいと思って居ます。坊主もそのくらいの気で居なきゃ、やっておれません。 マーケットの無くなる葬式屋稼業に固執する必要はありません。

地域では青年団も婦人会もPTAも瓦解しました。若者や子供のいる家が珍しいという有様です。私の村では仏教婦人会が全戸参加の唯一活きている組織です。それこそ、内緒で葬儀をしようにも会員が全員押しかけ、ご詠歌を唱えて送ります。

話は元に戻りますが、教団も最後の砦は小寺院です。ほんの数パーセントの大坊からの上がりは実際は教団運営に資していません。兼業で稼ぎそれで寺の屋根を支えながら地域に根ざした活動をしているような寺は、これからも生き残り、教団を支えるでしょう。顧客の為に役立って居るからです。まさにロングテイルです。

今教団は、方針を大転換し、根を養うことが必要です。空疎なテーマを掲げ浄財を蕩尽している時ではありません。小寺院が地域住民の心の拠り所として、地域のコミュニケーションセンターとして活動出来る為の方策を示し、それを支えなければ成りません。

二度と東京別院のような愚を犯してはなりません。住職の身の丈に合ったコミュニケーションセンターを沢山各地に作りたいものです。それが唯一教団の維持と開教の方法です。 本山も壇信徒に目を向けた方策に転じなければ、宗門は滅び、光明寺は紅葉の一観光寺院となりさがるに違い有りません。
                                     
再び宗政の脆弱について

昨年8月末に南部の地方教学講習会が開かれました。初日28日には恒例の「一日宗務所」です。これが、内局各部長の報告が有った後、参加者からの質問がゼロ。司会者が
発言を促しても誰も手を挙げません。

2年前、前内局が関東開教に付いて質問責めに会い、改めて関係者を連れて説明に出
直してきますと、ほうほうの体で”逃げ帰って”以来、紀州に対して関東別院の説明は一切無いまま、既成事実だけどんどん積み上げているていると言うのが現実が有ります。

総長が、「お陰様で今回は質問が無くて助かったというか寂しいというか・・・」と仰るので、本山には何を言っても無駄と言うことに歴代内局がしてしまったのですよ。と申し上げておきました。

この様に、情報を開示せず、質問にも答えないという内局の姿勢が、本山の運営に大きな陰を落としています。これだけ地方が冷めていると、恐らくご遠忌の円成にも影響がある事でしょう。

夕刻の、内局を囲んでの歓迎会がまた寂しい有様と成りました。

歓迎会の出席者が、内局に支所役員と数人の若いパーティー好きで、7人の丸テーブルが3つしか埋まっていません。部屋も小さい物に成っていて、正面の大きな看板が恥ずかしい様な有様です。中堅どころや長老の姿など一人も居ません。テーブル3つではパーティーに成りません。酒が飲めるというので部屋を取って泊まりがけ体制の支所長にも、酒を注ぎに行く者が居ません。

支所内でも早くから組内会を通じて質問を取りまとめようとしていましたが、支所行政上の力量不足と言えばそれまでですが、宗政に対する関心も支持も甚だしく希薄です。
その反面、”宗門が質問に答えないなら、乗り込んで一言言ってやる”という元気の良い若い衆が現れるかも知れません。紀州には”立候補を妨げない”と言う美風が有るのです。

ともあれこれは紀州の内部事情ですが、問題は本山です。今までは総長始め各地方から選出された部長達が、それぞれが持つ情報ルートを使って各支所に根回しをしながら宗政を担ってきましたが、今はそれが全く見られません。おまけに東京別院への投資以外に関心が無いがごとくの宗政です。

関東開教委員会への紀州出身委員も紀州からの学殖者委員も委嘱しないまま、唯一議員宛職の私もレッドカードです。総長が誰でも好みの人を指名出来るルールですから、本来ならここで委員を補充するべきですが、火中の栗を拾う人が居ないのか、委員不在を幸いとするのか、先日の参事会では既定路線のように納骨堂建設が提案され、賛成多数で上程されるそうです。紀州には何の情報も来ていません。

情報の非開示をはじめ、前内局当時の「三十五願女人往生」質問、現内局の「関本全集の体制翼賛問題に事寄せた個人攻撃」等の問題に関してもそれらしい回答が無いままです。

宗門の見識が問われて居るのです。何を問われても無回答、糠に釘では宗政の体をなしません。

前回のレポートで宗門執行体制の脆弱性と見識の無さを書いてレッドカードを頂きましたが、内局に対するイエローカードも既に出ていると思うのですが、皆さんの意見をお聞きしたい物です。

 何のつもりか宗門が出てきた

先日弁護士から内容証明が来ました。               【資料 1】

議会において私の議員報告が猊下の体面を汚し、宗門の品位を汚したと6ヶ月の議会出場停止を頂き、その際、私への懲罰の条件に、「文書による理由の提示」を求めて居りました。

議場でも議長が懲罰委員長に「あとで文書による説明をして下さい」と発言し、マスコミもそれを報じていたのは既にご報告の通りですが、今回は何と、弁護士による内容証明です。議会にも諮らずいつの間に顧問弁護士を替えたのか、新しく事務所を開いた弁護士3人の連署です。

私は「配達記録」という、個人的な手法に留め、公的な手段をは避けて居たのですが、宗門からの内容証明となると、事は対宗門で、ご丁寧に議会の範囲を超えて、宗門が乗り出して来たことに成ります。子供の喧嘩に親が出るというのがこれです。
これで私が法的な手段に訴えれば「被害者」であるご法主を参考人として法廷に呼ばねば成りません。

ついで、案じながらもまさかと思っていましたが、議事録に私への懲罰言い渡しの部分に肝心の「文書による回答」が記載されて居ないそうです。参事の和田議員が閲覧して来てくれましたから、間違いは有りません。
ちなみに、和田議員に対する
土江議員「関本問題は個人の事だから法的に訴えれば宜しい」」
和田議員「それならそうします」
と言う部分も記載されて居なかったそうです。誠に稚拙極まるやり方で、録音があり、マスコミも報じている事実を、どうやって粉塗する積もりでしょうか。 
議事録は逐次発言通りに書かないと意味をなしません。6月の議会では決算・予算案が審議されました。宗門最大の議題です。議事録に2カ所も疑問点を晒してしまえば、予算決議そのものも信憑性を無くします。

この様に、内局が先導して宗門の傷を大きく大きくしてゆく、やり方は門末の不幸に他なりません。「手打ち」の方策すら思い浮かばず、無策のまま右往左往している様子は無惨であります。
かつて内局を総辞職した総長の場合はそれなり各方面に方策を相談し、最後は潔く個人の責任として、周りに傷を付けない方法をとられました。それが大人の知恵というものです。

このまま宗門を衰退か破滅へ追いやる事は本意では無かろうと存じます。

                          納骨堂は代用ビジネス

  納骨ビジネスに関してはますます競争が激しくなり、大阪一心寺の一霊1万円に対して民間の霊園が(大谷本廟、北摂池田なごみ霊廟、横浜聖徳しらはた浄苑の例を見るように)全部で5万円を打ち出し、全国から宅配便で受付開始という有様です。都下ではもっと価格がこなれています。

【参考例】
町田市周辺の霊園墓地


町田こもれびの杜霊苑 総額 77万円~町田市
ハヤブサバレー 総額 84.76万円~町田市
南大沢バードヒルズ 総額 77.45万円~町田市
泉の郷  総額 98万円~八王子市
メモリアルフォレスト多摩南の丘町田市
町田聖地霊苑  総額 68.95万円~町田市
緑山メモリアルパーク 総額 87.6万円~町田市
メモリアルパーククラウド御殿山総額79.1万円~町田市
新町田霊園 総額101万円~町田市
メモリアルフォレスト多摩 町田市
町田いずみ浄苑フォレストパーク町田市
東京多摩霊園町田市
グリーンパーク新町田霊園総額98万円~町田市


これに対し東京別院は一霊数十万円のコインボックスを売ろうというのです。値打ちの差は比べようもありません。

もっとも、代用墓としての納骨ビジネスは、商売人の感覚から見れば”納骨”も”永代供養”も原価率がおそろしく低い、美味しいビジネスです。
お墓を持てない人に対して本堂の片隅を貸したり、持たなくても良いとする教義の教団が壇信徒に対して、お骨の行き所として便宜的に提供していたサービスを、これはよいと信者縛りと金儲けに利用し始めたのが納骨ビジネスです。教義への思い入れも檀家制度の縛りも無い所を商売人に見透かされますと、流れが高価な納骨堂建設となっても致し方ありません。本義をカムフラージュしたその場限りの金儲けなら業者の方が上手です。

分骨による納骨の本家高野山には、弘法大師と一緒に眠るという普遍のコンセプトが有ります。それを、後世に他の教団が真似をし、次いで本山が遠ければ地元の別院などで宜しいなどと簡略化してきたのを、今回の東京別院は新規寺院の客集め、収益のために代用墓を東京で売ろうと言うことですから、もとより「納骨」とは意味が違います。

ちなみに梶取の場合は、明治時代に本山から宗祖の分骨(分灰?)を頂くと言う手続を行い、それなりの言い訳を講じていたとのことで、ちゃんと理を通していましたが、それを知らず、800年遠忌のお待ち受け事業に祖廟から梶取へ、お骨分けイベントを開催しようと、支所会で熱弁した議長が無知と不勉強を晒した事もありました。

光明寺の別院なら、あくまでも光明寺への納骨を東京で受け付け、何年かは東京に置いてお参りが出来、最後には光明寺に納めると言うようなシステムでないと、何故の納骨か説明が付きません。この辺は前教学部長に口を酸っぱくしてご説明申し上げましたが無駄でした。あくまでも東京の金儲けにする事が必要という訳です。

つまり、本来の「納骨堂」であれば5年10年と限って棚から大地に納め、棚を空けます。回転が効くのです。ところが代用墓とすれば棚は少なくとも33回忌50回忌、又は永遠に塞がり、お守りし続けなければなりません。ここが本山をバックに持つところと、何もかも自分で背負い込まなくてはならない所との大きな差です。
おまけに、関東に僅かの伝手しかない西山が棚を埋めるには遠大な時間と経費が掛かります。もし一霊でも来てしまえば管理の人件費、経費は全部埋まったのと同じです。その負担だけは全部光明寺に掛かり続ける仕組みと成っています。都合の良い話です。

東京でやろうとしていることは納骨ではなく、本山の名と経費で東京で商売しようという、代用墓ビジネスに過ぎません。本義をしっかり通さないから、業者の口車に乗せられ、見せ掛けばかりの客寄せに過大な投資をそそのかされます。
現にそういう感覚の”納骨堂=代用墓”は境内のお荷物になるのが普通で、欲を出して大きな投資をした寺は倒産し始めました。西国2番観音霊場の紀三井寺でさえも巨大な観音像を持つ”納骨塔=代用墓”を建てましたが、お骨が集まらなくて青くなっています。

先日も都内に本山を持つ他宗の大教団ですが、本山職員が、「地方寺院の振興」をテーマに当山の活動を出版取材に来ましたが、町田という場所での霊園事業には「もうあの周辺は余りかえっていますのにね・・・」と呆れて居ました。現地の人間はよく知っています。以前からお伝えするように都下一番の墓地の過密地帯なのです。もちろんお隣の八王子、多摩団地などは創価学会の巣と言われる地帯です。

特に頂けないのは、当初より関東開教には霊園開発ビジネスが根底にあり、それの言い訳に教線の拡張が謳われる事です。昔も千葉で、霊園の上がりで寺が建つと言う話がありましたが、今回の町田でも当初の目論見は霊園開発でした。それが、使えない土地であることが判った上に、都の方針と地元自治会の反対、当時の総長がぶち上げた”関東で5億勧募します”が全くのホラ話で計画が頓挫してしまい、慌てて今になって、「納骨堂」の開発許可ならばと、都から地元の町田市に権限が委譲される来春までの間に、埋骨はできない「納骨塔」を駆け込み申請しようと言うのが真相です。

もとより、無謀な教線拡大など教団の自傷行為そのものです。

檀家を殺したら承知しないぞ。
                                     
  先日、弟子が転がり込んで来ました。10人目です。

ペットのブリーダーで、特殊な犬を個人的に頒布している夫婦ですが、和歌山市内の有名な寺の檀家です。有名というのは、何でも、年忌法事は寺に呼びつけられ、読経は10分余り、請求される布施が30万円だそうです。
それで、十数年一緒に暮らした犬が亡くなり墓を建てたそうで、寺に読経を頼んだところ、
「畜生まで構っていられるか!」
と一喝されたとか。堪りかねて私の所にペット供養にやってきました。

それが縁で色々とお話するなか、当山の檀家になり、次いで出家もしたいと言い出しました。経本とCDを仏壇屋で求め、今も毎日1時間半読経しており、仲間内のペット供養もしてあげたいと言うのです。
あまりにも思い入れが激しいので、よくよく聞きますと、奥さんは若い頃からの腎臓病で、アレルギーがある為に、透析になったが最後2年の命と言われて居るそうで、人生の大半を薄氷を踏む思いで過ごしてきた人です。

形ばかりの作法をして得度しました。体の具合から水被りの加行は無理。ペット供養ならプロの鉦叩きに成る必要は無いからと言ったのですが、どうせやるならと、とうとう本山に電話したそうです。

電話に出たのが永年宗務所に居て、歴代の部長に宦官並の忠誠を以て仕えた職員です。加行を済まさなければ僧籍は取れないという説明だけで良いのに、
「診断書が出ている等と言うが、電話でそんな物、見る事が出来ないじゃないか」
「あんた本当に得度しているのか?」
等と言いたい放題。この人、強い者にはおもねても、弱い者には滅法強いのです。

これがショックで今、好きな西山にはねのけられたと、悲嘆の涙で、もう宗教はヤメだと寝込んでおります。

その前にも伏線がありまして、宗門御用達の衣屋に法衣を注文しようとして、私から
「本職と並んだ席に出ることは出来ませんが、ペットの為だから綺麗な色衣を着てお参りして上げたらどうですか」
と言われていたのを、やれ僧籍を取るまでは無金でないといけないと説教され、無金の袈裟、座具、黒衣を一通り注文させられたのだそうです。

めげていたので、衣屋に電話して、
「おまえの所は先代もずいぶん押しつけがましい人物だったらしいが、今も師匠をさしおいて衣屋の従業員が新発意に説教するのか?余所で頼むから全部キャンセルする・・・」
全くどれもこれもでありますが、この様に硬直した組織は末期症状です。特にいけないのは、宗教者らしいおおらかさ、温かさが全く有りません。
坊主が命より大切な葬式を取り上げられようと言う時節、それでなくても壊れやすい、ガラスのような弟子です。まして檀家を殺したら承知しないぞ。

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