樹木葬と永代供養

樹木葬と永代供養
しだれ桜の樹木葬と永代供養の「弥勒の塔」

2016年6月4日土曜日

これが本山の姿です

■第 122 回定期宗会 平成 27 年7月 ■


          第 123 回臨宗宗会 議員報告             南部宗議会議員 栗 田 利 竜

議会のご報告を申し上げます

 第122議会は和田正友議員が南部の代表質問を行いました。今回はその中から、注目さ れる重大事項についてご報告致します。 「西山」誌の議会報告に総長はじめ内局の答弁が記載されていますから、そこでどんな答 弁が行われているのか、質問と併せてじっくりご覧下さい。答弁には的を得た発言が無く、 その上、あり得ないことに議長が熱弁を振るって議事を進行しています。いつも発言するの は南部議員が主で、一般質問には他の議員からは殆ど発言がありませんでした。 この報告書は、代表質問した和田議員から南部議員の連名ではどうかという提案もありま したが、全員の賛成とは行きませんでした。それで、栗田の私見と提案も加えながら纏めま した事を勘案の上お読み下さい。

本山を納骨の寺に?


1,「本山を納骨廻向の寺に」という総長の所信に対して、

   門末の寺院においては、後継者の絶える檀家等の要請に応じて、合祀墓、納骨塔を準備す るケースがしばしば見られるようになって来ています。これに対して、本山における「お祖 師様のお膝元へ」という分骨は明らかに趣旨目的が違います。 この趣旨を徹底せず、たとえば有名な大阪の納骨の寺一心寺を、総長達が二回も見学に行 ったと言っていますが、お骨を預かり建墓の手間や費用を省く目的で、宗旨宗派は不問、永 代供養をかねて利用される納骨を、納骨料目当てに欲しがるのは明らかに本山の意味、趣旨 を逸脱しています。 紀州では梶取や高野山に分骨する事も多いのですが、本山がその趣旨を徹底しないことに は、どこに納めても同じという事になり、今の納骨価格が崩れざるを得ません。それでなく とも、本山への納骨は光明寺の参拝客数と共に、毎年のように漸減して居ることは決算書を 見れば明らかな事実です。
  一心寺の場合は一霊1.5万円から受けて居ますが、近畿一円に名の通った歴史ある老舗で すから、年間1万5千ものお骨が集まります。しかもこれは永代供養付は10万円きりです。 しかし光明寺の場合は末寺があります。壇末の口数74,000口、一軒平均20年に一霊発生する として年間3,700件、極論すると、600ヶ寺はその周辺で食べて居るのです。 それを、お 葬式を機会に檀家が無くなって行くという永代の納骨を、本山が集めようというのでは、末 寺は枯れて行けばよいというばかりです。 本山が行う納骨はあくまでも分骨です。
 まず今の年間524霊しかない7万円の分骨を増加さ せる手立てを講じることが先です。少なくとも 3,700 と言う目標があるのです。ましてや一 般に解放して、一心寺を真似しよう、価格競争でもしようというのは無謀です。後にも述べ ますが、今の内局の動きには本山としての趣旨役割を理解せず、逸脱し、目先の金銭目的の 話ばかりが見られます。本山が鉦を叩いてナンボと言うような感覚で運営されては、宗門の 行方が思いやられます。 末寺が案内し、本山へ送った壇信徒を、本山がきちんとした対応を以て納得、感謝される 勤めを行いますと、同時に末寺住職の値打ちも上がり、それでこその本山であります。
 まず おもてなしです。全骨は受け付け無いだの、回向を終わった法主に、客を送るべき本山部長 がペタペタと付いて降りてしまうと言うような状態ではお粗末の極みです。本山部は洗練さ れた法要と接待と送迎を徹底して頂きたいものです。

議会を無視して建築発注

2,東京別院の職員宿舎計画

  昨年6月の臨宗に出された東京別院の職員宿舎計画ですが、今、関東では震災復興が先で、 資材も職人も無く、建築をするには時期が悪いと言うこと、寺院建築にそぐわない陸屋根の プレハブアパートは如何な物かと再検討を要請されました。ですが、122議会には、その まま発注され、工事が進んでいると報告されました。屋根は業者に断られたと言うのですが、 今時、切り妻にさえ出来ないプレハブというのは納得が行きません。 入札の経緯や委員会等による計画も相談も一切なしです。聞けば、参事会で決定したと言 うのですが、10月に臨時の参事会が開かれ、その翌々日に発注されたようです。議員には 何も知らされませんでした。 参事会というのは上程される議案の整理と、緊急非常の際に議会に代わって決定する事が 出来るという機関です。参事会長の原田武俊議員に伺うと、
「・・・そんな議題は出て居たの かなあ、後日紙を送って来て、議事録に判を押してくれと言うので押して返送したのだが・ ・・」
と言います。どっちもどっちですが、その翌々日では議事録に印を押して正式の書類 を作成した時間すら無いはずです。正当な発注手続きでしょうか。 これでは議会の存在価値がありません。故意かどうか、完全に議会無視です。この、議員 に連絡をしなかったことは、議会初日の懇親会の席で判っていたそうですが、翌日の議会で はそれには一切触れず、内局も議員も何も触れないまま審議を続け、そのまま案件が終わり そうになったので、私が原田参事会長に問いただし、やっと庶務部長、総長の謝罪に至った のが実態です。議会無視は重大な瑕疵です。よくも平然と議事を進められた物ですが、謝罪 で済む問題ではありません。当然それなりの責任の取りかたが必要です。 「坊主の金儲けは建物を建つとき」と俗に言われますが、このような委員会での検討もし ない、入札もしないと言う建築方法はあらぬ疑いを招く事になります。 さらに問題は、東 京別院への人件費、経費支出が足を引っ張り、光明寺予算が明らかに萎み始めました。もう 別院は保留資金も底を突きました。いい加減に東京別院の経理を独立させ、本当の収支を発 表するべきです。光明寺が喰われてしまいます。経理のベテランである某議員も、さっぱり 経理の流れが判らないと言います。 今までは宗門が潰れても光明寺は生き残ると言われていましたが、このままでは光明寺が
先に危うくなりそうです。

漸減する光明寺と別院の収入

東京別院と光明寺の収入が減っています。光明寺の決算を見ますと、ずらりと減収マーク が並んでいます。法主の交代以来、昨年比でも志納金が 3730 万が 3380 万、回向料が 3600 万 から 3250 万。葬儀、年忌法要がいずれも減少して居ると言うことは重大です。光明寺の予算 が志納金や、小さな額では有りますが、法主の御親教料もそれぞれ 100 万円と 120 万円の減 です。受戒が一回有っただけと言うことです。これでは予算の編成が窮屈で、何かと言えば 宗費値上げが取りざたされていますが、次期内局は宿題を負わせられ大変です。 6千万円余の資金を投じた納骨堂も昨年は十五基、6百数十万円の売り上げでした。鼻息荒 く業者頼みの販売計画をぶち上げましたが、成功は無理とみた業者が逃げてしまい、今は1 0年掛けてゆっくり売れば良いと言い始めています。別院の目的は開教でしたが、今では葬 儀の下請けアルバイトと、それに伴う年忌法要が主な仕事になっているようです。
  あれほど 謳われた宗門の将来を見据えた関東開教という大目的はどうなっているのでしょうか。原野 のなかに大伽藍を立てるという計画はもとより完全に破綻しています。コンビニスタイルで 説教所を多数開設し、やる気のある若い僧侶に任すべきです。他宗では開教寺院に補助金で 応援するシステムを持っているところが一つならずあると紹介されて居ます。後に紹介する 「寺院消滅」をお読み下さい。 八年前から関東別院を無謀な計画であると発言し続けて参りましたが、それが今日になっ てことごとく的中しているのを見るのは辛いことです。

宗門を衰退させる構造的な無責任

3,「西山教義は軒端三尺高し」とか言いますが、所信表明にも「宗門の重要な部門は、なん と言っても教学の充実と、壇信徒に対する教化活動である」と謳われていますが、大会にお ける座次などは、どんどん僧階、等級偏重に傾いています。 教区の改変に際しても、総長が拘って、宗務支所規定の中に、 「法服及び座次に関する事項」 などと言う、一度は消えた項目を強硬な態度で挿入しましたが、これも法事部あたりのこだ わり感覚で、座次の問題はむしろ教階、学階無視を元に戻し、寺院等級なども無くすべきで す。確かに僧階に伴う義納金は本山会計に貢献するでしょうが、宗門の品位と格式には関係 ありません。
  例えば大坊の二世三世という若者が高位に並び、短大の学長など、宗門をある 意味で代表する人物が末席近くに座るような不都合が生じる事にもなりかねません。言うま でも無く、支所内に座次を切るような法座はまれで、これは本山における法事部、式事部の 内規で済む事です。宗規に入れるのには違和感があり、所信にも反しています。 大局を見ず、小事に拘り、宗門の品格を大切と心得ない内局の姿です。最近も奉仕団参を 引率して本山の清掃をして参りましたが、サラリーマン化した本山職員の姿に、昔を懐かし む明秀会会員の声がありました。祖山護持の気持ちに添える山内の雰囲気が切望されます。

楽なら良いのか法式の無視

4,称礼と礼拝はどうなっている?

「法悦の妙境は一糸乱れざる勤行によって味わい得られる、故に法要に従事する者は、敬 虔な態度で而も終始違うことなく、宗派が定めた法式を充分心得て奉仕しなければ、その法 要は無価値な物となってしまう」西山浄土宗蓮門法式集初版本 今本山では、いつの間にか三称礼が二称一意礼に変わってしまっています。また、十念は あくまで十念であり、面相の十念は西山の秘訣でありますが、それが乱れ、登山する壇信徒 の間で話題となり、引率の住職を困惑させて居ます。壇信徒が法主のお十念を数え袖引き合 っています。
  また、御影堂における尋朝はじめ回向の際、内局員だけが、それも椅子に、それも座布団 をひいて腰掛け、足下に朱扇を投げ、五体投地を省略している姿は、法式作法から見ても異 様で横着です。壇信徒の目にはどう映っている事でしょうか。前法主は足の不具合で椅子を 使用されましたが、それを勝手に恒常化して、今のていたらくです。本山の存在価値と感謝 は、壇信徒に代わり日夜厳粛に祖師への礼拝を勤めて頂いているという処にあります。末寺 にも言えることですが、礼拝は何にも代えられない信仰の証で、敬虔な作法が出家者の基本 で有り信用です。「威儀即法」でありますが、横着を決め込む一部の者が蟻の一穴、宗門の値 打ちを削ぎ、足許を危うくしてゆきます。

本山が切り売りされる

5, 内局が熱心に取り組んでいる問題に、墓地の新設拡張があります。

  蓮生閣建設の際、切り取った土砂を埋め立てた場所で、既設墓地の参道側にある、樹木の 養生地という名目の土地ですが、今回100区画余り、規制逃れでもう50区画を次に追加 申請するという事ですが、竹藪を開発した前回と違い、今回は正味の境内地です。 表参道の真裏ですから、墓石に落ち葉が掛かる様では苦情が来、日当たりも悪いところです から、恐らく大幅な杉や紅葉の伐採が行われると思われますが、景観の悪化と共に地盤の軟 弱化も大問題です。境内の切り売りを急ぐばかり、擁壁の補強は眼中に入っておりません。 これは、地元議員の報告では、光明寺の境内は「土砂災害警戒区域(粟生、長法寺)」です。 特に表参道、紅葉渓は特別警戒区域で、本山周辺の都市計画もストップしていると言います。 今回の増設も、既設の墓地が完売されたからという事ですが、最近は墓地への関心も薄く なり、見通しを聞きますと20年掛けて売ってゆく計画と言います。また、一千万の工事に 完売で一億の資金が残る計算ですが、これは何の目的と言うことも無いそうで、内局が自由 に使える金となるのだそうです。 また、解散している墓地管理委員会を再開する予定も無く、山内環境整備委員会にも諮ら ず、事務方の担当で事業を進めると言います。つまり全くのブラックボックスとしたいよう です。今までの墓地販売には様々の問題点が有ったと報告されましたから、なおさらブラッ クボックス化して良い訳が有りません。内局は関東開教委員会も開かずに宿舎建設を進めていますが、墓地もまた内局一存で進めるつもりのようです。 私達が事業計画が杜撰だと反対しました東京別院の納骨堂も、ふたを開けてみると売れた のは今のところ十数基だそうです。案の定です。専門業者が採算に乗らないと逃げた案件を 素人が強引に進めた訳ですが、これも立ち腐れ、だれも責任を取りません。本山の墓地もそ の轍を踏む恐れが多分にあります。 本当に墓地の需要があるならば、本山周辺の竹藪が後継者難で売りに出されている時代で す。谷間の木陰にあり鬱陶しく、参拝路も狭く、車が入らない墓地より、開けた場所で施設 が整った霊園がいくらでも開発できるのです。

本山の環境整備は火急の事態

6,墓地より周辺の環境整備が先

  大山崎から9号線を結ぶ高速が付き、やがて本山の門前には北から阪急長岡京市駅に繋が る地下鉄の駅が出来る予定です。一躍交通の要所になりますが、そうなれば本山周辺の環境 が都市開発の波に脅かされることが目に見えています。今の間に宗門の全力を挙げて周辺の 保全に努めなくてはなりませんが、今の総長はそういう事は一切考えないと答弁しました。 前々内局の時にも門前の土地を確保して駐車場にしておけば駅が来ると、周辺の事情を心 得た人たちによる情報に基づいて、私達南部議員が本山の将来を展望した提案をしましたが、 当時の総長が一切聞き入れず黙殺してしまいました。まさに代々の内局はじめ、先を読めな い議員達もまた暗愚のそしりを免れない事になります。不急不要な建物に拘っているような 時ではありません。 こういう問題には、宗門の将来を見据えた事業に着手出来る手腕が必要です。
  総長になる には僧階がどうとか、衣の色がどうとか、人材の登用に余計なバリアが多すぎます。宗門の 行政と本山の運営組織が混同され、どちらも半分の力しか発揮できていません。宗門と本山 部の部屋が別れているように、宗門は別の場所に移し、そこには、せめて普通レベルの経営 能力、経理能力のある在家者等を登用しないと、時代に会った宗門経営は無理となって居ま す。

『寺が消えて行く』

最近出た本ですが、すでにご覧の方も多いと思います。『寺が消えて行く』 この、私達にとって、うすうす感じながら、具体的には見ようとしていない事実が念入 りな取材で明らかにされています。 以前梶取で開かれた支所会の席で、「これから寺院の運営はどうしたら良いのですか」と聞 かれたことがありました。寺の衰勢は皆が感じている事です。 私は「せいぜい檀家さんと仲良くなって行くことでは無いでしょうか」とお答えしました が、現に梶取で起きている犯罪と言える事件も、「檀家さんには言わない様にしよう」という姿勢に見られる如く、僧侶は信用される存在では無 く、見切られているのです。それでは打つ手もあり ません。
  NHK のクローズアップ現代で取られたアンケートに、 日本人は、 「佛教が好き」が90%。それに対して「寺」 は25%。「僧侶」は10%しか好かれて居ません。 佛教のイメージは良いのに寺と僧侶は不満を持たれ、 極端には嫌われているのです。 僧侶の中には、最後のあがきというか、悪逆を働 き、本当の仏教が説かれることを妨害をする人まで います。なぜ、僧侶が、そのような愚かなことをし でかすのでしょうか。それは、たとえば ・今のまま少しでも葬式や法事のお布施が欲しい ・本当の教えを学び、伝えるのは、大変なのでさけ たい といった目的であることがほとんどです。 そんな僧侶にとっては、檀家や門徒さえも自分の財産、いわば「金づる」ですが、逆にそ の姿は金をたかりに来る迷惑な存在としか見えていないのです。

  ここでは序文の一部をご紹介します。中に、関東別院の近くで新寺院を建立して檀家を集 めている、若い和尚の例も2例紹介されています。いきなり大金を持ち込んで立ち往生して いるこちらとは対照的です。やはり開教は「人」です。投資は人にしなければなりません。 本の最後には今日の日本で最強のインテリ、キリスト教徒の佐藤優氏が論評を書いていま すが、ここには私達の最後のよすがとも思わせる刮目の所見があります。ここには引用しま せん。是非ご自身で求めてお読み下さるようお勧めします。以下は本の序論です。

  はじめに それは秋の彼岸入りを控えた2014年9月中旬のことだった。 ひょんなことから、旧友と18年ぶりに再会することになった。その友人は、長野県松本市 に住んでいて、とある名刹の跡継ぎである。 かくいう私も、京都の寺の生まれだ。学生時代に修行道場に入り、"一応は"僧侶の資格を 得ている。旧友とは、修行の同期の関係だ。行を終えると彼は、寺坊を継ぐため、真っすぐ に仏道を進んだ。一方で、代々、寺だけでは食べていけない貧乏寺出身の私は、サラリーマ ン記者をやつている。 (中略) 「ここ松本では山間部で過疎化が進んでおり、寺を維持できなくなっています。東京などの 大都市への人口の流出と地方の疲弊の流れの中に、寺院の存続問題があります。経済記者の 視点で地方の寺を取材してみてはどうでしょう」 折しも、日本創成会議(座長・増田寛也元総務相)が発表した「消滅可能性都市」が、話題 になっていた。増田氏らは、このまま大都市圏への人口流出が止まらず、若年女性の減少な どが進めば、2040年には全国の自治体の四九・八%が消滅する可能性があると指摘している。

  例えば秋田県では大潟村を除いたすべての自治体が「消滅可能性」の範疇に入り、青森県 や島根県でも多くの自治体が将来、「消えてなくなる」可能性があるという。地方都市が消滅 するのに、そこにある寺が存続できるわけがない。 彼が言うには、「地方都市の消滅はこれからだが、仏教界では既に寺院の消滅期に入ってい る」と。増田氏が唱える「2040年」を待たずに、寺院はもっと早い時期に、かなりの数 が消えてなくなる可能性があるというのだ。 寺の存続問題を通して、今、地方で起きている諸問題-高齢化、過疎化、核家族化、都市へ の人口流出など・・を見ることもできるかもしれない。 書店に行けば、仏教や寺院に関する書物をいろいろと見つけることができる。その多くは 著名な僧侶や学者による仏教指南書や、宗教マネーに焦点を当てたビジネス本、あるいは仏 像ブームを捉えたガイド本、写真集などである。「社会構造の変化と寺院」を切り口にした一 般書はほとんど見当たらない。 経済記者と僧侶の両方の立場だから、見えてくること、語れることもあるだろう。私は早 速、取材を始めた。
  現在、全国に約77,000の寺院がある。そのうち住職がいない無住寺院は約2万ヵ寺に 達している。さらに宗教活動を停止した不活動寺院は2000ヵ寺以上にも上ると推定され る。無住寺院とはつまり空き寺のことであり、放置すれば伽藍の崩壊や、犯罪を誘引するリ スクがある。 しかし、多くの宗門は無住寺院や不活動寺院の実態を把握し切れていない。一部、規模の 大きな教団ではサンプル調査に乗り出しているものの、仏教界全体ではほぼ手つかずの状態 と言える。 ましてや、この状況から脱するための対策には乗り出せてはいない。末端の各寺院はそれ ぞれが宗教法人格を有している以上、宗門本部がカネを投入したり、整理・統合を進めるこ とが難しい。寺を存続させるかどうかは住職の判断に委ねられている。
  即ち、後継者のいない寺や経済力のない寺は、増田氏の言葉を借りれば「消滅可能性寺院」 と言える。消滅可能性寺院の中には、荒廃した庫裏に独居状態で老僧が暮らしており、孤独 死を待っているような悲惨な状況も少なくない。後継者探しを諦めている住職も多い。 私は名もなき寺の住職の声を集めるために、全国を歩いた。 (中略) 一連の取材は、知られざる仏教史をたどる旅でもあった。一時期、寺と僧侶がゼロにな った県があった。尼寺の哀しい歴史も知った。かつては広大な所有地を誇った寺が、その大 部分を喪失するという戦後のエポックメーキングがあった。   寺をつぶさに観察し、史実と照らし合わせながら、取材を積み重ねていった。 (中略) 昨今、家族葬や散骨、永代供養などにみられるように、寺との関わりが希薄になっている。 田舎から都会への改葬(墓の引っ越し)も増えている。「失われる宗教」の背景には、法を説く ことを忘れた僧侶への厳しい批判や寺院不要論があることは十分承知している。 しかし「寺が消えることは、自分につながる"過去”を失うことでもある」ことを、わずか でも感じ取っていただけれぼ幸いだ。人は未来に希望を託さずには生きられないが、「過去」 を振り返ることも時に必要だと思うからだ。

2011年10月10日月曜日

直下型マグニチュード震度5.5



 何でも、直下型マグニチュード5.5の地震だったそうで、大黒達は裸足で本堂を飛び出したそうな。・・・折しも私は3晩目の檀家廻りで・・・何があっても私だけは生き残る事が証明されました。ご安心下さい。 

 お陰様で屋根が少し傷んだだけの事で済みましたが、いよいよ地震も関西に向けてやってくるかと、寄ると触るとその話です。 

 墓地に参りますと、見事に墓石が15度、右向け右をしておりました。墓の大きさには関係が無さそうです。一基も倒壊しなかったのが何よりでした。うちの墓は仲がよい。 

 組長、副支所長と連絡をし、近辺寺院の被害状況を調査しましたが、やがて本山から調査の依頼が来たそうです。・・・それより先にお見舞いだろうって・・・カネが欲しいときはジャンジャン手紙が来るのに。 

 本山から300万円の義援金を送りましたと報告があって、法然800年の法事は予定通り挙行、やがて末寺を通じて檀信徒からの義援金が集まり始めると、そこから300万円を本山の会計にピンハネします、また、その義援金を使って支援組織を作りますと言うから、 

「直接被災地に届かないなら、自分で送るからウチの組の分は返せ」 
「他人の褌で相撲を取るのか、本山とあろう者が・・・」 
「自分の所の火事が消せないで、よその火事にちょっかいを出すのか・・・」 

 こんな事を言うのは600ヶ寺の教団でウチの組だけ、これも異な物なんです。「ご本山がそんなに有り難いのかいコノヤロ」と」いいたくもなりますよね。 

2011年5月14日土曜日

地域の寺を育てよう。

■議員報告■                         2011.1. Vol.10

                                      西山浄土宗宗議会議員 栗 田 利 竜


地域の寺を育てよう。

西本願寺さんは宗議会の縮小始め、宗門運営の機動化を計るとか・・・

本気で改革に取り掛からねば成らないところまで来ているというか、東のボンボンより西の坊ちゃんがしっかりしているのか、今までは波風の多い東のほうが”民主的”でマシと言われて居たのですが・・・

どこの宗門も、どうにもならない事態を迎えているのに一向に動こうとしていません。
まず収入の頼りとしている葬儀については、家族葬とか直葬だとかが大流行で、鉦叩きの坊さんは大慌て、葬儀屋の裏口にこっそり営業したりして、すっかり舐められています。葬儀が無くなって行くのは、金が無い、宗教的離れと言うだけの理由ではありません。これは地域のお付き合いが壊れたからです。

日本の場合、宗教に無関心なのは今に始まったことでは有りません。宗教を気にしなくても生きてゆけます。国全体が家族で、皆日本教の氏子でしたから。、宗旨にも宗派にも拘りは有りません。最近は平気で菩提寺を捨てて移って行きます。

坊主が気に入らない、寺掛かりを安く、永代供養で先祖を預けてしまいたい、・・・これが三大要素です。永代供養や墓地で檀家を増やす等というのは嘘です。

それで、今まではリタイアしても地域の中で生きていましたから、お別れが必要でした。昨今のリタイアメントは社会的な死で、死のうが飢えようが周囲は無関心です。だからいつまでも生活資金に拘っていなくてはなりません。以前なら家族や地域に任せておけば良かったことが、いまでは家族まで金の切れ目が縁の切れ目、お世話に成らないように(笑)と怯えなくてはなりません。

責任の一半は本人にもありますが、社会の流れには抗いようがありません。遠く離れた町に住み所帯を構えた子供達には、故郷での親の暮らし、隣人達との誼に思いが至りません。自分が住む町や地域のお付き合いも薄く、終身雇用が崩れ皆がフリーターもどきになった職場で過ごしているのですから

寂しいことですが、亡くなってもお参りのない人が多くなりました。隣人に挨拶する日常すら無いなら、宗教的な情操があっても、ことさら告別式や葬式の必要はありません。子も孫にしても、日常がそれなら金の切れ目が縁の切れ目です。まして、別居してジジババに暮らしの中でのよしみがない場合は、その死にも思い入れは有りません。

死ぬことは生きることだと言います。宗教はこれです。後生を願うな、過去を思うなと言っているのではありませんか。今を生きる知恵が親にもお子にも求められているはずです。

たとえ宗教的な条件や環境がなくとも、亡くなった時、生前の交誼を懐かしみ、恩義に感謝し人々が参集してごらんなさい、子や孫は放っておけません。何を思ったか葬儀をケチったつもりが、いつまでも弔問の客が途絶えず、散々な目に遭った家も有ります。結婚式と同じです。

教団も寺も、今までの仕組みが壊れてきた以上、社会的な不要物に成る気がないなら考えなくてはならないと思うのです。宗教という哲学を旗に、社会的に必要な存在としての切り口を考えなければなりません。社会の仕組みの中に存在価値を示し、生きる道を探さなくてはならないと思うのです。

私はそれが、さしあたって高齢者福祉であり、寺子屋であり、コミュニティーセンターであり、カルチャーセンターでありと思うのです。過疎の田舎なら新聞もダスキンもヤクルトも、ジジババのオムツ宅配も寺がやればよいと思っています。(笑)結構な器と顧客を既に持っているのですから。

今は公務員が自分達の給料のために不必要な人数居座って居ます。国家の全歳入が役人の給料です。あり得ない話です。それなら寺が役人に引導を渡せばよいと思って居ます。坊主もそのくらいの気で居なきゃ、やっておれません。 マーケットの無くなる葬式屋稼業に固執する必要はありません。

地域では青年団も婦人会もPTAも瓦解しました。若者や子供のいる家が珍しいという有様です。私の村では仏教婦人会が全戸参加の唯一活きている組織です。それこそ、内緒で葬儀をしようにも会員が全員押しかけ、ご詠歌を唱えて送ります。

話は元に戻りますが、教団も最後の砦は小寺院です。ほんの数パーセントの大坊からの上がりは実際は教団運営に資していません。兼業で稼ぎそれで寺の屋根を支えながら地域に根ざした活動をしているような寺は、これからも生き残り、教団を支えるでしょう。顧客の為に役立って居るからです。まさにロングテイルです。

今教団は、方針を大転換し、根を養うことが必要です。空疎なテーマを掲げ浄財を蕩尽している時ではありません。小寺院が地域住民の心の拠り所として、地域のコミュニケーションセンターとして活動出来る為の方策を示し、それを支えなければ成りません。

二度と東京別院のような愚を犯してはなりません。住職の身の丈に合ったコミュニケーションセンターを沢山各地に作りたいものです。それが唯一教団の維持と開教の方法です。 本山も壇信徒に目を向けた方策に転じなければ、宗門は滅び、光明寺は紅葉の一観光寺院となりさがるに違い有りません。
                                     
再び宗政の脆弱について

昨年8月末に南部の地方教学講習会が開かれました。初日28日には恒例の「一日宗務所」です。これが、内局各部長の報告が有った後、参加者からの質問がゼロ。司会者が
発言を促しても誰も手を挙げません。

2年前、前内局が関東開教に付いて質問責めに会い、改めて関係者を連れて説明に出
直してきますと、ほうほうの体で”逃げ帰って”以来、紀州に対して関東別院の説明は一切無いまま、既成事実だけどんどん積み上げているていると言うのが現実が有ります。

総長が、「お陰様で今回は質問が無くて助かったというか寂しいというか・・・」と仰るので、本山には何を言っても無駄と言うことに歴代内局がしてしまったのですよ。と申し上げておきました。

この様に、情報を開示せず、質問にも答えないという内局の姿勢が、本山の運営に大きな陰を落としています。これだけ地方が冷めていると、恐らくご遠忌の円成にも影響がある事でしょう。

夕刻の、内局を囲んでの歓迎会がまた寂しい有様と成りました。

歓迎会の出席者が、内局に支所役員と数人の若いパーティー好きで、7人の丸テーブルが3つしか埋まっていません。部屋も小さい物に成っていて、正面の大きな看板が恥ずかしい様な有様です。中堅どころや長老の姿など一人も居ません。テーブル3つではパーティーに成りません。酒が飲めるというので部屋を取って泊まりがけ体制の支所長にも、酒を注ぎに行く者が居ません。

支所内でも早くから組内会を通じて質問を取りまとめようとしていましたが、支所行政上の力量不足と言えばそれまでですが、宗政に対する関心も支持も甚だしく希薄です。
その反面、”宗門が質問に答えないなら、乗り込んで一言言ってやる”という元気の良い若い衆が現れるかも知れません。紀州には”立候補を妨げない”と言う美風が有るのです。

ともあれこれは紀州の内部事情ですが、問題は本山です。今までは総長始め各地方から選出された部長達が、それぞれが持つ情報ルートを使って各支所に根回しをしながら宗政を担ってきましたが、今はそれが全く見られません。おまけに東京別院への投資以外に関心が無いがごとくの宗政です。

関東開教委員会への紀州出身委員も紀州からの学殖者委員も委嘱しないまま、唯一議員宛職の私もレッドカードです。総長が誰でも好みの人を指名出来るルールですから、本来ならここで委員を補充するべきですが、火中の栗を拾う人が居ないのか、委員不在を幸いとするのか、先日の参事会では既定路線のように納骨堂建設が提案され、賛成多数で上程されるそうです。紀州には何の情報も来ていません。

情報の非開示をはじめ、前内局当時の「三十五願女人往生」質問、現内局の「関本全集の体制翼賛問題に事寄せた個人攻撃」等の問題に関してもそれらしい回答が無いままです。

宗門の見識が問われて居るのです。何を問われても無回答、糠に釘では宗政の体をなしません。

前回のレポートで宗門執行体制の脆弱性と見識の無さを書いてレッドカードを頂きましたが、内局に対するイエローカードも既に出ていると思うのですが、皆さんの意見をお聞きしたい物です。

 何のつもりか宗門が出てきた

先日弁護士から内容証明が来ました。               【資料 1】

議会において私の議員報告が猊下の体面を汚し、宗門の品位を汚したと6ヶ月の議会出場停止を頂き、その際、私への懲罰の条件に、「文書による理由の提示」を求めて居りました。

議場でも議長が懲罰委員長に「あとで文書による説明をして下さい」と発言し、マスコミもそれを報じていたのは既にご報告の通りですが、今回は何と、弁護士による内容証明です。議会にも諮らずいつの間に顧問弁護士を替えたのか、新しく事務所を開いた弁護士3人の連署です。

私は「配達記録」という、個人的な手法に留め、公的な手段をは避けて居たのですが、宗門からの内容証明となると、事は対宗門で、ご丁寧に議会の範囲を超えて、宗門が乗り出して来たことに成ります。子供の喧嘩に親が出るというのがこれです。
これで私が法的な手段に訴えれば「被害者」であるご法主を参考人として法廷に呼ばねば成りません。

ついで、案じながらもまさかと思っていましたが、議事録に私への懲罰言い渡しの部分に肝心の「文書による回答」が記載されて居ないそうです。参事の和田議員が閲覧して来てくれましたから、間違いは有りません。
ちなみに、和田議員に対する
土江議員「関本問題は個人の事だから法的に訴えれば宜しい」」
和田議員「それならそうします」
と言う部分も記載されて居なかったそうです。誠に稚拙極まるやり方で、録音があり、マスコミも報じている事実を、どうやって粉塗する積もりでしょうか。 
議事録は逐次発言通りに書かないと意味をなしません。6月の議会では決算・予算案が審議されました。宗門最大の議題です。議事録に2カ所も疑問点を晒してしまえば、予算決議そのものも信憑性を無くします。

この様に、内局が先導して宗門の傷を大きく大きくしてゆく、やり方は門末の不幸に他なりません。「手打ち」の方策すら思い浮かばず、無策のまま右往左往している様子は無惨であります。
かつて内局を総辞職した総長の場合はそれなり各方面に方策を相談し、最後は潔く個人の責任として、周りに傷を付けない方法をとられました。それが大人の知恵というものです。

このまま宗門を衰退か破滅へ追いやる事は本意では無かろうと存じます。

                          納骨堂は代用ビジネス

  納骨ビジネスに関してはますます競争が激しくなり、大阪一心寺の一霊1万円に対して民間の霊園が(大谷本廟、北摂池田なごみ霊廟、横浜聖徳しらはた浄苑の例を見るように)全部で5万円を打ち出し、全国から宅配便で受付開始という有様です。都下ではもっと価格がこなれています。

【参考例】
町田市周辺の霊園墓地


町田こもれびの杜霊苑 総額 77万円~町田市
ハヤブサバレー 総額 84.76万円~町田市
南大沢バードヒルズ 総額 77.45万円~町田市
泉の郷  総額 98万円~八王子市
メモリアルフォレスト多摩南の丘町田市
町田聖地霊苑  総額 68.95万円~町田市
緑山メモリアルパーク 総額 87.6万円~町田市
メモリアルパーククラウド御殿山総額79.1万円~町田市
新町田霊園 総額101万円~町田市
メモリアルフォレスト多摩 町田市
町田いずみ浄苑フォレストパーク町田市
東京多摩霊園町田市
グリーンパーク新町田霊園総額98万円~町田市


これに対し東京別院は一霊数十万円のコインボックスを売ろうというのです。値打ちの差は比べようもありません。

もっとも、代用墓としての納骨ビジネスは、商売人の感覚から見れば”納骨”も”永代供養”も原価率がおそろしく低い、美味しいビジネスです。
お墓を持てない人に対して本堂の片隅を貸したり、持たなくても良いとする教義の教団が壇信徒に対して、お骨の行き所として便宜的に提供していたサービスを、これはよいと信者縛りと金儲けに利用し始めたのが納骨ビジネスです。教義への思い入れも檀家制度の縛りも無い所を商売人に見透かされますと、流れが高価な納骨堂建設となっても致し方ありません。本義をカムフラージュしたその場限りの金儲けなら業者の方が上手です。

分骨による納骨の本家高野山には、弘法大師と一緒に眠るという普遍のコンセプトが有ります。それを、後世に他の教団が真似をし、次いで本山が遠ければ地元の別院などで宜しいなどと簡略化してきたのを、今回の東京別院は新規寺院の客集め、収益のために代用墓を東京で売ろうと言うことですから、もとより「納骨」とは意味が違います。

ちなみに梶取の場合は、明治時代に本山から宗祖の分骨(分灰?)を頂くと言う手続を行い、それなりの言い訳を講じていたとのことで、ちゃんと理を通していましたが、それを知らず、800年遠忌のお待ち受け事業に祖廟から梶取へ、お骨分けイベントを開催しようと、支所会で熱弁した議長が無知と不勉強を晒した事もありました。

光明寺の別院なら、あくまでも光明寺への納骨を東京で受け付け、何年かは東京に置いてお参りが出来、最後には光明寺に納めると言うようなシステムでないと、何故の納骨か説明が付きません。この辺は前教学部長に口を酸っぱくしてご説明申し上げましたが無駄でした。あくまでも東京の金儲けにする事が必要という訳です。

つまり、本来の「納骨堂」であれば5年10年と限って棚から大地に納め、棚を空けます。回転が効くのです。ところが代用墓とすれば棚は少なくとも33回忌50回忌、又は永遠に塞がり、お守りし続けなければなりません。ここが本山をバックに持つところと、何もかも自分で背負い込まなくてはならない所との大きな差です。
おまけに、関東に僅かの伝手しかない西山が棚を埋めるには遠大な時間と経費が掛かります。もし一霊でも来てしまえば管理の人件費、経費は全部埋まったのと同じです。その負担だけは全部光明寺に掛かり続ける仕組みと成っています。都合の良い話です。

東京でやろうとしていることは納骨ではなく、本山の名と経費で東京で商売しようという、代用墓ビジネスに過ぎません。本義をしっかり通さないから、業者の口車に乗せられ、見せ掛けばかりの客寄せに過大な投資をそそのかされます。
現にそういう感覚の”納骨堂=代用墓”は境内のお荷物になるのが普通で、欲を出して大きな投資をした寺は倒産し始めました。西国2番観音霊場の紀三井寺でさえも巨大な観音像を持つ”納骨塔=代用墓”を建てましたが、お骨が集まらなくて青くなっています。

先日も都内に本山を持つ他宗の大教団ですが、本山職員が、「地方寺院の振興」をテーマに当山の活動を出版取材に来ましたが、町田という場所での霊園事業には「もうあの周辺は余りかえっていますのにね・・・」と呆れて居ました。現地の人間はよく知っています。以前からお伝えするように都下一番の墓地の過密地帯なのです。もちろんお隣の八王子、多摩団地などは創価学会の巣と言われる地帯です。

特に頂けないのは、当初より関東開教には霊園開発ビジネスが根底にあり、それの言い訳に教線の拡張が謳われる事です。昔も千葉で、霊園の上がりで寺が建つと言う話がありましたが、今回の町田でも当初の目論見は霊園開発でした。それが、使えない土地であることが判った上に、都の方針と地元自治会の反対、当時の総長がぶち上げた”関東で5億勧募します”が全くのホラ話で計画が頓挫してしまい、慌てて今になって、「納骨堂」の開発許可ならばと、都から地元の町田市に権限が委譲される来春までの間に、埋骨はできない「納骨塔」を駆け込み申請しようと言うのが真相です。

もとより、無謀な教線拡大など教団の自傷行為そのものです。

檀家を殺したら承知しないぞ。
                                     
  先日、弟子が転がり込んで来ました。10人目です。

ペットのブリーダーで、特殊な犬を個人的に頒布している夫婦ですが、和歌山市内の有名な寺の檀家です。有名というのは、何でも、年忌法事は寺に呼びつけられ、読経は10分余り、請求される布施が30万円だそうです。
それで、十数年一緒に暮らした犬が亡くなり墓を建てたそうで、寺に読経を頼んだところ、
「畜生まで構っていられるか!」
と一喝されたとか。堪りかねて私の所にペット供養にやってきました。

それが縁で色々とお話するなか、当山の檀家になり、次いで出家もしたいと言い出しました。経本とCDを仏壇屋で求め、今も毎日1時間半読経しており、仲間内のペット供養もしてあげたいと言うのです。
あまりにも思い入れが激しいので、よくよく聞きますと、奥さんは若い頃からの腎臓病で、アレルギーがある為に、透析になったが最後2年の命と言われて居るそうで、人生の大半を薄氷を踏む思いで過ごしてきた人です。

形ばかりの作法をして得度しました。体の具合から水被りの加行は無理。ペット供養ならプロの鉦叩きに成る必要は無いからと言ったのですが、どうせやるならと、とうとう本山に電話したそうです。

電話に出たのが永年宗務所に居て、歴代の部長に宦官並の忠誠を以て仕えた職員です。加行を済まさなければ僧籍は取れないという説明だけで良いのに、
「診断書が出ている等と言うが、電話でそんな物、見る事が出来ないじゃないか」
「あんた本当に得度しているのか?」
等と言いたい放題。この人、強い者にはおもねても、弱い者には滅法強いのです。

これがショックで今、好きな西山にはねのけられたと、悲嘆の涙で、もう宗教はヤメだと寝込んでおります。

その前にも伏線がありまして、宗門御用達の衣屋に法衣を注文しようとして、私から
「本職と並んだ席に出ることは出来ませんが、ペットの為だから綺麗な色衣を着てお参りして上げたらどうですか」
と言われていたのを、やれ僧籍を取るまでは無金でないといけないと説教され、無金の袈裟、座具、黒衣を一通り注文させられたのだそうです。

めげていたので、衣屋に電話して、
「おまえの所は先代もずいぶん押しつけがましい人物だったらしいが、今も師匠をさしおいて衣屋の従業員が新発意に説教するのか?余所で頼むから全部キャンセルする・・・」
全くどれもこれもでありますが、この様に硬直した組織は末期症状です。特にいけないのは、宗教者らしいおおらかさ、温かさが全く有りません。
坊主が命より大切な葬式を取り上げられようと言う時節、それでなくても壊れやすい、ガラスのような弟子です。まして檀家を殺したら承知しないぞ。

猊下が激しく御垂辞

■議員報告                           2010.7  Vol.7
                           宗議会議員  栗 田 利 竜

猊下が激しく御垂辞

6月28日、臨宗の冒頭、法主猊下が激しい御垂辞を述べられました。
たまたま私が議員報告8号で述べました、今期の法主選出にまつわる「西山」誌の記載に基づく、宗門の体面とマナーに関してであります。
かねてより、内局の姿勢と対外的な体面について危惧しておりましたが、身近な人達でもありなかなか言いにくい事で、ためらって居りましたが、あまりのことに意を決して報告させていただきました。もとより個人攻撃と取られることは心配でしたが、公職の事であり、宗門として看過できない事と思い発表したのですが、まさに猊下の御垂辞が、畏れ多くも申し合わせたかのごとく全面的に同じであり、更に詳細に渉る内容で、45分の時間を掛けて指摘されました。
猊下にしましても、ご自身の事であり立場も有りますから、なかなか言えない事を、公的に記録の残る場で、マスコミを前に発言なさったのですから、いかほど思いが深いか、そのご心中を計るに余りあります。
ともかく、僭越ではありますが、私の報告をお読みいただき、その一部でもお酌み取りいただきたいと存じます。「西山」誌には表向きの報告がなされるだけで、マスコミにも実情を伝える所はなかなか有りません。

こういう事があって、宗門の問題点と恥を晒すことになっても、総長が遺憾の意を表されましたが、その後内局の当事者達には何の動きも見えせん。本来なら、その場で所見と今後の取り組みを示すべきですが、このまま聞き流してしまうのでしょうか。

レッドカードを貰いました

さて、議事も進んで門末会の承認案に入り、そろそろ東京別院納骨堂の協議題に入ろうとした瞬間、東部の鈴木議員から緊急動議が出されました。結局6ヶ月の出場停止と言うことです。
私の議員報告が怪しからんと言うのです。最前猊下が御垂辞なされたことです。
もとより品位を汚す個人攻撃など、ことさら注意して書いたつもりですし、お互い公職上のことですから、時には不都合な事も書かねば論議になりません。猊下ならパスでも私では具合が悪い・・・と言うことでありましょう。
それにしてもタイミングが絶妙です。同僚議員は、休憩時間中鈴木議員が、懲罰委員長とヒソヒソ打ち合わせをしている姿を目撃し、不審に思っていたそうですが、お陰様で私は次の議題、東京別院の納骨堂計画案に対して意見を言う機会を無くしました。
こういうテクニック、手法は政治の世界では有るにしてもまれです。まして坊さんの世界でここまでやるかと思いますし、やれる人はまれです。宗議会もなかなかレベルが“高く”なりました。すっかりやられてしまいました。
勿論、議員報告の内容に関して謝罪とか撤回という事は出来ません。私が謝ったりしたら猊下の発言も具合が悪いと言うことに成ります。同僚議員に後事を託して懲罰に甘んじましたが、議員の議場での発言を封じると言うことは大変な事です。前例となることですから、懲罰を受け入れる条件に理由を書いた公文書による令書を求めて了承されました。懲罰委員長が如何なる風に理由を書かれるか、それをまた逐次ご紹介したいと存じます。
何でもこれは、宗議会史上初めての事らしく、前例も何も無いのだそうで、誠に不名誉というか、ある意味で歴史を作った訳ですが、推挙していただいた南部支所の教師各位に心より不徳をお詫び申し上げます。
また、関東開教委員ですが、これもまた参加資格を失うという事です。どうやらこれが目的のようです。煩いのが居なくなったとほくそ笑んでいる人がいるかも知れません。納骨堂にかける執念には感心いたします。

インターネットの使用はお咎め無しに

私にとっては大変な”言論弾圧”ですが、ここで特筆すべきは、インターネットの利用が、新しい媒体であり、理由がないので一切規制しないことが懲罰委員長から表明されました。
鈴木議員から出された譴責の理由が。「インターネットで宗内の情報を流した」と言う事でしたから、これも首尾一貫しない事ではありますが、これからはネットの利用が常識となり、日常的に欠かせない道具となり、また、組織、団体には情報の開示が必要不可欠となりますから、社会の流れに叶う組織として、当然の判断ではあります。
「今は取り扱いに基準がない」等と、不勉強、不都合の言い訳でなく、時代に即応した社会的なルールを基準としたいものです。

さて今、本山の宗務所には立派なインターネットのサーバー(インターネットの中継機)が鎮座しています。普通、24時間管理しなければならない自社サーバーには多額の費用と手間が掛かりますから、自前のサーバーを必要とするほど大量のデーターを扱わねばならない事業所以外は、無駄で贅沢なものと言えます。おまけに、自前のサーバーは安全性の面で不安を抱えると言うのが常識です。
尋ねてみますと、今のサーバーは800年遠忌の費用で賄われていて、本山光明寺が間借りしているという説明でしたが、肝心の遠忌のサイトは開かれていません。遠忌については光明寺のサイトの中に「遠忌執行本部が平成17年4月にスタート。毎月1回、遠忌執行本部定例役員会を開催し、より具体的な実践にむけてここまで3回の会合を積み上げてきました。」
と言う古い記載が有るのみで更新もなされていません。
800年遠忌は勧募が進まず、来年の決済が危ぶまれる事業もある始末ですが、本山にはこういう一部職員の趣味ともとられかねない、建前だけのお気楽な予算の使い方が散見されるのは勿体ない話です。

ともあれ、インターネットの使用は生活の上で不可欠と成っています。何も技術的な能力を全て担当者が持つ必要はなく、文章を書く能力と発信する意欲さえあれば、掲載は本職にまかせれば良いのです。お金を使って道具を揃えるのは道楽であって、その目的ではありません。もっと前向きに、綺麗事だけの観光サイトでない、宗門人も日常の用に使える前向きなサイトとし活用していただきたいものです。

まだ納骨堂ですか・・・

結局私は参加できなかった関東別院の納骨堂問題ですが、2月の定宗で発表すると約束された関東別院の運営見通しも出されない時点で、先走った提案などトンでもないと言うことで退けた計画がまた出され、大部の資料も配付されたようです。今まず納骨堂の申請を都に出すという件で、同僚議員の話では反対したものの賛成多数で押し切られたそうです。
資料は以前の、池にガラス鉢を浮かべるプランです。
事業費の目論見では工事費が1.5億円、全部売れれば売り上げが6億円弱、誠に結構な話ですが、これには何と販売経費も事務費も計上されて居ませんから、向こうから買いに来て呉れるのを待つということらしいです。全部売れる事は何十年先に有ろうかなという話で、あの辺鄙なところに、西山の檀信徒だけを相手に、単価60万、100万、150万円の価格です。夢のような話です。
町田の駅前にはすでに市内の何処からでも拝めるという9階建て1、344基の納骨塔が一区画40万円、寄付も管理費も不要、不要になればお金は還しますという超良心的な納骨塔があり、それでも半分空いているのです。
実際には納骨堂を企画する場合、寺が自分の檀信徒の中から、確実に見込める顧客で3分の1の販売量を見込んでスタートしなければ行き詰まると言うのが常識です。東京別院で納骨堂が話に出た時点で
「今の檀信徒で納骨堂が欲しい人は何人くらい居るのですか」
と本山の担当職員に尋ねますと、
「家族檀を欲しがっている人が2~3人居ます、その人達の願いに応えたいのです」
と言いますから、
「その二人のために本山が2億円出すのですか?」
と言ったことがあります。
関東の檀信徒は、当初600名あった檀家名簿を20年余で240に、町田にもう一つ寺を作りますからご寄進をと言った途端に124に減ったと聞きます。今回は請願書なるものが出ていましたが、それらも実際に購入してくれる積もりがある方達なのでしょうか。有った方が良いなと言うような暢気な事が許される状態ではありません。

さて仮に、世間並に3分の1が採算点とすれば2億円です。最低でも必要な販売経費5千万円は用意しなければ販売業務が出来ません、それで広告費無しです。東京での広告には膨大な資金が必要です。それで幸いにも売れたとして、初めて建設費だけがチャラです。その見込は有るのでしょうか。
おまけに、あの関東平野の中に泉水を巡らし、ガラス張りの納骨堂です、計上されている年間80万円の予算では空調機器のメンテナンスと電気代にも足りないでしょう。なぜ空調が最小限で済む建物にしないのでしょう。人件費を始め、経費を併せると経費は数倍です。それらが永久に別院の収入を食い、ツケは光明寺に廻って来ることになります。
如何に見た目の格好ばかりを追った無謀な計画で有るかが判ります。

それに、今回なりふり構わず申請を急ぐ理由は、もうじき墓地開発等の許認可が権限委譲で都から町田市に移るので、今の間に駆け込み申請しないと認可が降りなくなると言うのが理由です。当初から地元に歓迎される計画で無いのを自ら認めている訳です。こういうのは商売人か政治屋のやることで、宗教者のやることでは有りません。

関東別院のそもそもの目的は離郷檀信徒へのサービスと西山流の念仏布教で、横浜に最初の拠点が作られました。
法要、月参り等のお勤めが続けられ、それなり寺院の役割を地味に果たしていたと思います。250軒の檀家と言えば、市街部では結構に自立できる寺院です。それなら、そう言う寺を関東一円に増やして行けば宜しいのでは有りませんでしたか?格好を付けて大伽藍など、関東の方達は求めて居たのでしょうか?すでに答えははっきり出ています。

大金を投じてしまいました以上、今更、強引に計画を進めた関係者に損害を補填してくれと言っても叶わぬ事かも知れませんが、撤去して都に返さないなら今一度、本当に地元の人達が求めている形を考え、受け入れて頂く方法を考える事です。学会シンパのコンサルはじめ、間違った情報を元に宗門をリードした発願者に、本当に責任を取れと言いたくもなります。

開教というならまず街頭に立って獅子吼しなければなりません。法務と言えば骨身を惜しまず鉦を叩きに行かねばなりません。呼ばれるのを待つ様ではこまります。
たとえば、今話題の家族葬など、需要があり、関心も持たれているのです。納骨堂などの装置産業に投資するより、今困っている都民が居るなら、あの広大な空き地に家族葬向きの小ホールを幾つか並べるなど如何でしょう。更に、仕事のない若者にホール要員として働いて貰う、勉強して貰う、沢山養成して都内のホールに派遣する・・・仕事は幾らでもあります。ちなみに私が始めているホール要員(献茶婦)の派遣は好評です。求められている分野を探せば仕事は幾らでも有ります。
末寺単独ではなかなか出来ない教育や福祉の仕事も、本山であれば信用も資金も人材も何とかなります。鉦を叩きたければ都内に沢山ある葬祭ホールに、10万円、5万円で結構ですと言えば幾らでも叩かせて貰えます。開教師ですから、なりふり構う必要は有りません。あらゆる機会にご縁を求めるのは当然です。そこで布教すればご縁につながりますから、タダであっても出たい席ではありませんか。コミッションを幾ら払って・・・等と言っている様では恥さらしですし、格好ばかり付けて、開教師を呼び名や衣の色で飾りたててみても、そんな物を見てくれる人はいません。

今期も東京別院の決算は主たる横浜別院の収入を合算しておいて、人件費は計上しないと言うやり方です、前期は恥ずかしそうにしていましたが、今期は堂々と出しています。こう言うのを既成事実化とか開き直りと言うのでしょう。せめて光明寺の決算で東京要員の人件費が明示されて居れば内実が判るのですが、それが一括りに成っています。

今本当にやらねば成らないこと

2月の定宗で猊下が800年遠忌の事業に壇信徒に対する受け入れ施設、施策の欠如を指摘なさり、急遽信徒会館の改修が決まったようです。柴田内局の時代に、殆どの方向が決められていた遠忌事業計画ですが、多くが関東別院始め、短大、梶取等、外の事に費やされ、日下内局の時代に本山で目に見える事業が何も無いと言う声に、あわてて「蓮生閣」が計画されました。その「蓮生閣」は客殿であり、坊さんが使う座敷であり檀信徒が入る所ではありません。
そして蓮生閣が完成すれば、その縁側から釈迦堂西側の降り棟など、みすぼらしいところが露見してきます。
この様に、思いつきの施策は次々課題を呼びます。大局観に立った事業計画が望まれますが、今は来年の決済を勧募の進み具合に掛けている有様です。どう考えても採算の見込めない東京の納骨堂などに掛ける余裕は無いはずですし、駆け込み申請などの小細工などに頼らず、地元に受け入れられる計画をゆっくり練るのが教団としては正当なやり方です。まず火急の問題、やっておかねばならない補修などに予算を使いたいものです。
今回のご垂辞に対しても、誰も責任を取らない宗門です。内局にしろ議会にしろ、馴れ合いで事を運んでいては宗門の先が思いやられます。後世の審判に耐える事の出来る決断には、大変な勇気が要ります。
また先日は、東部の寺院でストーブの失火から庫裏を全焼するという、お気の毒な事件がありました。西山浄土宗ボランティアの会では前例から早速10万円のお見舞いを持って駆けつけました。本山からも庶務部長が駆けつけられたそうですが、ボランティアの会では、このような災害対策の事業は、本来本山の仕事であるとして廃止の方向で考えていたのですが、本山の公的なお見舞いは1万円だったそうです。昔、川崎総長が恥ずかしい思いで、ご自身で包みの中身を足したと述懐された金額そのままであったようです。おまけに、書式集の「災害被害届」と「被災寺院見舞金基金規定」というコピーが、支所長を通じて渡されたと言います。
災害にあい、これからどうやって再興しようかと思案をしているときに、被害金額、そのうち保険で保証される金額、檀信徒から勧募する金額、復旧に要する期間、賦課金減免延期を希望するか否か・・・これを提出しなさいと言うわけです。不足額は本山が面倒を見ようとかいうならともかく、復興の目処も付か無い時に、木で鼻を括るというか、逆に怒らせるだけのような仕打ちです。取り敢えずの見舞金が1万円でも結構、次に必要なのは復興資金です。提供できなければ貸与なりの方法でも、ともかく当の末寺を立ち直らせる方策を講じたいものです。

目から鱗、火が飛んだ

さて、光明寺財団が解散されます。会計士の報告に依りますと、名目上の残金は遠忌事業に3000万円支出して残り千7百万円余ですが、土地、株(阪急電車)、建物共済保険等で総計2億3千万円余のようです。
当時の趣意書等は開示されないのですが、ある方が「真空大僧正頌徳」という冊子と「信仰の友」昭和8年5月号のコピーを送ってくださいました。それによると財団への寄付第100回で、5百円、百円、80円・・・の数字で並んで居ます。当時のお金で60万円余集まったと言います。2千5百円でお堂が建ったという時代らしいです。今では想像も付かない実力です。
近年は支出が光明寺への助成金と、光明寺での法要費だけらしいですから、本来の仕事ではなく、延々と光明寺が経費として蚕食して来た訳です。

それはともかく、先日の「関本全集」にまつわる“個人攻撃事件”ですが、あるご老僧から戦争当時の話を伺っておりました中で、
「徴兵を拒否したら憲兵に引っ張られる、国を挙げて国難に立ち向かっている、そう言うとき、管長としてどういえば良いのか。他山他宗の管長が口を閉ざして何も言わない時に、我が宗の関本管長は発言してくれた・・・管長にああ言って貰ってみな戦争に行った。それ以来ワシらは時流時節で何も言わないのに、何も知らない若い者があんな事を・・・」
知覧の特攻隊基地跡へ、団体を組んでの“法要”を誘った人達を、パフォーマンスまがいと、今でも苦々しい思いをしている方です。戦争にはその当事者に、言うに言えない思いがあるのです。

次いで、ある学識者から大変な事を教えて頂きました。あの関本発言こそ、西山教義そのものの体現であると言うのです。関本師の『教旨叢談』を読んでみろと言われました。あの発言が証空教学であると言うではありませんか。ついでに言えば、私のこの議員報告なども西山教義そのものだと・・・不勉強な私にはその深い所までの意味はなかなか判りませんが、おおむねその概要を引用致しますと、

1,宗祖大師の教えは「時機相応の、・・大いに時機に相応した、・・能く当時の気運に投合した」ものであった。

2,国師弥天が「自家の職責として、自ら其の解釈の大任を担当するに至」り、「自家の教旨かく高調に語り且つ謳うた」のは、「畢尭当時教界の趨勢と社会の気運に乗じ、特に彼の念仏に物足らぬ心地するものの為に、百味の飲食を供え」られた、それは国師弥天が、「其時代の気運に応じて、教旨を宣伝」せられたからである。

3,しかし、徳川期の「時期相応」の改革は、「・・何事も単純浄土宗的に傾き、専ら外観の美を装い、且つ当時に都合よき、一時の糊塗策を用いたるの結果、終に一流の主義信仰までも、時流相応の風情に陥ったのであろう・・」と、「・・或いは時流に阿ねたといおうか、兎に角一流教旨の本領を無視したるの傾きがある、豈慨せざるべけんや」

私の粗雑な言い方で申しますと、法然は教団を打ち立てるために努力した。証空はそれを維持するための努力をした。そして徳川期の一連の諸改革。共に時代に応じた物を提供しようという心は同じで有りながら、今になってみれば一方は格好ばかり付けて大事な物を失っている・・・
学者で理屈っぽいと思っていた証空の教学が、実際は現場主義であり、逆に法然門下が形式主義になっていると・・・

それで判りました。宗制宗規に
第百七十二条 寺院はその実情に応じて公益事業をしなければならない。
第百七十三条 公共事業をするときは左の事項を具し宗務総長の承認を受けなければならない。その事項につき変更を生じたときも亦同様である。(記載事項中略)
第百七十四条 宗務総長が前条の承認をしたときは、これを公益事業簿に登載する。
第百七十五条 公益事業で、その業績が顕著であるものには、補助金を交付することができる。
「公益事業をしなければならない・・・」とわざわざ断定されて居るのは、我が宗が現場に即した菩薩行を前提とした宗旨で有り、ただお念仏を喜んでいればよいと言うことでなく、積極的に報恩の行をしなければならないという教旨なのです。

宗門が教学を大切にしなければならないのはここでしょう。そうしないと自分達の位置と姿と、しなければならない勤めが見えて来ません。せっかく先人が積んで下さった光明寺財団の基金です。教義に添った使い方を心得たいものです。

たも短大に延命輸血?

京都西山短大がいよいよ経営に困っているようです。800年遠忌で2億の輸血を行い、保育科の建物を建てましたが、経営には寄与しないままのようで、明らかに失敗、2億円は烏有に帰したようです。少子化の時代に短大卒保育士の需要が無かったのです。あろうことか、今期は受験願書が出たもの全部を合格者としてカウントしているとか、表に出来ない冗談のような噂までが聞こえてきます。実際の在学者数を知りたいものです。
お孫さんの関本議員に所感を聞きますと、光明寺財団解散を急ぐ理由として、「すでに幾つかお金を欲しい所が取りざたされ、短大が筆頭ですからね・・・」と、半分諦め顔、何だか物分かりの良い話ではありました。

幼稚園はまずまず、高校はスレスレ、短大はいよいよ・・・と言うことは聞いておりましたが、ともかくこれは気を付けなければなりません。応急措置で問題を糊塗しているうち、益々病状を悪化させるというのはよくある話です。

西山短大はいまさら「大学」に拘る必要はありません。一時も早く「学寮」に戻しては如何でしょう。そうすれば宗門で護持する理由が成り立ちますし、身軽になれば生きて行けます。ライフクリエイトコースと言うことで、またぞろ中国人学生を導入しようという話も有るようですが、中国人学生が学びたがるのは経済や医学、つまりお金儲けです。特にビジネスを学びたいと言うのが殆どで、宗教や学問をしたい訳ではありません。私の学校経営仲間も北京に事務所を持ち、学生の留学を扱っていますが、西山に連れてこようとすれば2年間日本語を学ばせ、経済学部等に入れる役割しか有りません。そして四大を卒業してアメリカへ博士号を取りに行くというのが、優秀な中国人学生の定番コースです。それに応えるには教員から入れ替えなければなりませんが、急遽看板を掛け換えた程度では、アルバイトが出来る市街部の日本語学校に行きます。ほとんどの中国人学生は稼がないと暮らせないのです。
短大はすでに法主猊下の尊父が、学生の時代にストライキを起こし、西山高校の地に移転を訴えた事件があったそうです。今から思えば大変な先見性ですが、当たり前です。学校も人の多いところに行かねば客は付きません。これを押しつぶした面々の無知と牢固が残念でなりません。
それから幾星霜、今は少子化の時代、大学はすでに多すぎますし、シビアな生き残り合戦に、素人経営で立ち向かえる時代でありません。また悪いことに、西短の場合、優秀でも都合の悪い教員を追い出すような人事が続き、昔に比べ人材が酷く手薄となっています。外部の学会や出版界に通用する人材、論文も無く、マスコミに登場しているのも、学長の節談イベント以外見かけたことがありません。
結局ここに至り、学寮として元に戻し僧侶の養成機関とするのが一番良いと言うことに帰結します。始めるに比べ撤退には更に大きなエネルギーが要りますが、誰かが決断しなければならない時期が来ています。

もっと宗門を大切に

■議員報告                                             Vol.8
西山浄土宗 宗議会議員
栗 田 利 竜

もっと宗門を大切に

御忌会中に、岩田猊下のお居間に伺候いたしまして、ご機嫌を伺っておりましたところ、
教学部長が入ってこられまして、
「御前さん、先程のお話の・・・のところが、正確にはこうで御座いますから、お気を付けて頂きたく・・」
「・・そういう事でもあるかなあ・・気をつけましょう、はいはい」
と言うやりとりがあり、あとで、“・・貴方は今の話、どう思うかね?”

横で聞いておりまして、管長という物はなんと些細なことをしたり顔で指摘されなければならない物かなと呆れて居たのですが、私如きが評論する立場でもなし、苦笑しておりました。

ご法主は物理学(東大)の泰斗で、しかも学寮で宗学を究められた方です。おまけに説教師タイプではありませんから、起承転結を順に進めるような話し方はなさいません。聞く方は余程注意して、その意とするところを考えないと、話しておられる意味が、ともすれば理解の難しい趣のお話をなさいます。ですから、ともかく小さな事に拘ってはいけないお話なのです。

まして一山の管長です。その言葉は私たちにとって金科玉条、こうと言われたらそれは釈迦をはじめとする、列祖の言葉です。管長の口から出た言葉は是非を問わず私達は受け
入れなければなりません。それゆえに管長職は重責なのです。ですから、それなりの人物を推戴するか、もしくは何も仰らない方をあえて選ぶものです。

たとえ私の様な者であっても、お茶お菓子を出されて対面して居る客は正客です。そこへ身内話、それも注文など付けに来たら、例えそれが正論であろうとも、御前には一山を背負っている体面があります。私だったら「馬鹿者!」と言います。逆に、そんなことは誰もいないところでそっと言わないと聞いてくれないと思うのが常識ではありませんか。

どこの組織にも、前例、慣例などと百年一日の事をしたり顔で講釈し、さも自分が物知り訳知りで有るかのように振る舞う小人物は居るものです。ただ、相手を間違えてはいけません。本山では管長がルールブックです・・・どこかにそんな話がありましたね。ましてや、管長といえども言ってやれという下克上の気風が山内に蔓延していたりしたらそれこそ大変です。

現にそういう事が有りました。

昨年春、現管長の任期が来ました。推戴委員会が何回も開かれ、あれやこれやの人選話
が一巡して後、結局、現法主をもう一度という話になったのでしょう、総長やら委員長が現管長の下にお伺いに行ったそうで、
「アンタやりますか?」
「ウン、ワシやりたいワ・・・」
と即答したと有ります。
「西山」誌にはこう書かれています。

次期管長推戴について、前同委員会の最後に、岩田文有現管長の「推戴いただけるので
あればお受けいたします」とのご意向を持ち帰った各ブロックからの意見を聞いたが、いずれのブロックからも異論はなく、現管長のご意向を尊重するとの報告がされた。よって、採決に入り、委員会として現管長岩田文有僧正を次期管長として推戴することを全会一致で決定した。規程に則り、委員長から宗務総長に委員会の決定を報告し、宗務総長は直ち
に岩田文有僧正にその旨を伝え(委員長同行)、「謹んでお受けいたします」との承諾のご
返事を得た。今回の管長推戴委員会では初めての規程運用となり、委員問で条項の解釈
に違いがあるなど、様々な問題点があるとの共通の認識を得、今後宗会を通じ早急に規
程の見直しを諮っていくべきとされた。

この様なことは事務的な報告です。どこかですれば宜しい。公報であれば経緯は何とあ
れ、そこは、然るべき者が管長の下に伺い、
「衆目の一致するところ是非猊下にと言うことでございます。猊下におかれましてはご苦労でありますが、このまま前例先例にこだわらず、続き私達をお導き下さいますよう・・・」
と三顧の礼を以てお願いに行き、引き受けて頂きました・・・と、そう書かねばなりません。
それでこその値打ちではありませんか。たとえ泥沼の争いを水面下で繰り広げ、疲れ果てての挙げ句であろうと、公報は公報です。宗門の面目が有ります。規則だの手続きだの、
長々と経緯など書き立てるのもでは有りません。全くの小役人感覚で宗門という物を考え
ていません。

私などひねくれ者には、
「結局あんたにするからヤルカイ?」
と聞きに行ったら、
「ウン、ヤルヤル」とすぐに答えたゾ・・・
としか読めません。

それで公示が大きな字で「岩田文有僧正」です。辞任されていないのですから当然現役の猊下です・・・何時誰がクビにしたのでしょう。こういう非礼を、誰も言わない誰も責任を取らない、それが看過されるいい加減な宗門です。心ある門末はあきれ果てています。

今、葬儀無用論とか坊さん無用論とか、面白おかしく書き立てられ、仏教界には冷たい風が吹いています。寺院や僧侶の存在が問われているのです。軽い物になっているのです
。私達自身が率先して法をあがめ、法門を大切に、その値打ちを守らなければならない時
です。本山自らその値打ちを下げるような振る舞いなどとんでもありません。大衆の葬式
離れどころか、先に門末の本山離れが始まります。竜馬の「脱藩」がブームですが、「脱
宗」が起こり兼ねません。

何度も推戴委員会を開いたと公表するだけで、別の人物を担いだ勢力が居たとバラし、現法主の面目を潰している自覚も無いのです。800年という大変な折り目を迎える時に、中途半端な任期の切れ目となり、後任を思いやられ辞任をためらっておられた時です。だからこそ余計、神経を使って然るべき時でありました。そこには惻隠のかけらもありません。
普通なら義憤を以て席を蹴るところ、よくまあ堪えておいでであると存じます。

「すまんなあ、あれは甥っ子でなあ・・」
などと言われるのですが、それも困りますなあ・・・それを・・・。

本山の埋蔵金

2月の定宗の冒頭、御垂辞で法主が東京別院の納骨堂計画に触れられ、「いずれ埋蔵
金を宛てにしての事でしょうが・・・」と述べられ、その後で総長が慌てて、本山には埋蔵金なる物は一切御座いません」と打ち消されました。
そのすぐ後に上程されたのが、墓地会計と光明寺財団の解散、光明寺会計への繰り入れ
でした。
確かに、財団は十億以下の物は通常会計にして税金の対象にしようという財務省の方
針があります。しかし、それに乗じて早々と解散しなければならない物でもありません。墓地会計にしても、それこそ墓参者の為に駐車場の確保など、これからしなければならないことも沢山有ります。

問題はその金が光明寺会計の中へ繰り入れられ、議会がチェックしようにも、協議題として、使った後に承認を求められるだけという事になるのが困るのです。光明寺は東京別院という大きな宿題を抱えています。延々と資金を送り続けなければならないお荷物を抱えています。財団の解散や墓地会計の解散はそれこそ、その為の埋蔵委金作りと取られて
も致し方有りません。また現実に使ってしまう事になりそうです。二月までと約束された別院の経営見通しがまだ出されておりません。

特に光明寺財団は、元は”光明寺教育財団”と言い、かの関本御前が修徳高校、西山高
校などに次ぐ社会事業の為の基金として積まれたものと言うでは有りませんか。世の流
れとして財団の形が無理なら、特別会計として別に積んでおき、その遺志を継ぎたいもの
です。現に、今まで何度か有った、解散して使おうという話を、私達の先輩議員が必死に
反対して守り抜いて来られた歴史があるそうです。

これを支所長に話し、支所の意見としてまとめて欲しいと話しますと、
「一議員の意見など出せない、議員団でまとめて来い」と言います。問題意識も政治センスも何も無い話で、あとの言葉に詰まりましたが、地元10組の、そのお孫さんまで居る議員達もまだ何もいわないのです。いずれ6月の議会に提案致しますが、それまでに何とか、紀州の皆さんの総意として応援して頂きたいものと願って居ります。こう言うのが本当の“関本問題”ではありませんか。

字を読めない人が学者字イジメ
宗門の教学を大切に
2月の定宗で予算審議の際、教学研究所予算200万円のうち60万円あまりしか支出されていないのを問いただしますと、教学部長より
「今の教学研究所は機能しておりません。こんなパンフレットが一冊出ただけです。」
と言う発言でありました。
前教学部長時代、短大および研究所に連日教学部長が顔を出し、なにかと口出しをしているとの話は聞いておりましたが、教学研究所は法主直属の機関で、所長が宗務総長です。宗門の教学を司る機関として、最高の権威と地位が保証されている機関のはずですが、予算執行の事務担当にしか過ぎない教学部長が、さも自分の下位組織のように、上長の総長が所長である研究所を批判しています。
実態は出張旅費一つにもいちいちお伺いをたてさせ、嫌がらせ同様の扱いをしているのが実情のようです。わずか200万円とはいえ、議会で決定された予算です。全額使って当然の予算ですし、これでは資料代にも足りないはずです。勿論パソコン等の機材は全員自弁、良いところは短大のコピー機を自由に使わせて貰えるところだけと嘆いて居ます。
それでいて、35願が女性差別ではないかとの問い合わせに慌てて学階所持者全員にまで諮問を出し、それを集約さえ出来ずに返却したり、「関本全集」の皇国史観問題でもレポートを求めましたが、この件に関しては研究所は質問の意味と背景が判らず、内局も結局その力作を活用出来なかったようです。都合の良い便利使いをしようとするからです。
ちなみに研究所の実績について、私の求めに下記の報告書が回付されました。
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西山浄土宗教学部長殿
平成二二年二月二二日

西山浄土宗教学研究所

教学研究所:平成ニー年度研究活動状況

○昨年度に引き続き、西山上人御法語『定散料簡三重六義大意の事』の読解と現代語和訳の作業を続行。(毎週火曜日午後一時~四時於京都西山短期大学図書館棟三階研究室)
○ 西山浄土宗宗会で提起された問題について、レポート二通を作成し提出す。
○「教団付置研究所懇話会」関係:
◇第9回「生命倫理研究部会」大竹・日下・太田所員出席 テーマ「宗教教義から見た自死」仏殿(横浜市神奈川区)大竹・太由所員参加、日下所員は所用により参加予定を取り消す)                平成ニー年十月九日
◇日蓮宗現代宗教研究所:テーマ「『葬式仏教』を考える」大竹所員参加
於日蓮宗宗務院(東京大田区) 平成二二年二月九日
◇浄土宗総合研究所:公開シンポジウム「自殺と自死」太日所員参加於本山増上寺(東京・芝)平成二二年二月十五日
○ 論文発表:大竹所員 法語『鎭勧用心』の江戸期「末書」を読む
『西山学報』創刊号二〇〇九年
研究ノート:太田所員『鎮勧用心』末書における「悪人」に関する考察『同上』
○学会発表:太田所員発表テーマ「西山から見た自死問題考」西山学会
於京都西山短期大学 平成ニー年七月二日
○「環境問題に関する一考察」日本宗教学会   於:京都大学 平成二一年九月六日
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4人の仕事として立派な物ではありませんか、外部の団体や大学のシンポジウムに参加発表するためには、宗門としての対面があります、学会等と言うところは学問の他流試合ですから、凄まじい戦いなりの準備と理論武装準備に大変な労力が費やされているに違い有りません。
言うまでもなく副所長の大竹師などは宗門にとっては願っても得られない人材です。何カ国語かを駆使して教典を比較検討出来る宗教学者など、今の宗門には他に居ません。他派は知らず、光明寺では外の学会や大学で、学者として論文の通用する貴重な人材です。
その大竹師が、初めて総長と顔を会わせた時総長は
「研究所に対しては、成果に応じて予算を出します」
と言ったそうですが、予算は議会が承認していて内局は執行者にしかすぎません。  また、自分は研究所の所長です。意味も立場も全く理解を超えた、宇宙人的な発言であります。
宗門はもっともっと教学を大切に、学問に対する敬虔な姿勢を持って頂きたいものです。
これでは字の読めない人が学者イジメをしているような有様では有りませんか。

ホボンを公認するのか?

法類規定改正について

法類問題は世襲の問題です。これは誠に難しい問題で、今の佛教界が抱える宿痾とも
いえる難題です。歴代の内局も手を出せないまま後送りしてきました。
それを、宗制宗規をいじるのと同じようなノリで出来ると思っていたらしく、宗制宗規委員会に改正案が出されています。
もちろん地方によって支所によって事情は大きく違っています。それだけでも大変ですが、問題は住職の後継問題に大きく関わります。住職にとって後継問題は老後の暮らしをどうするかという問題です。本来なら弟子を養い、そのうちから勝れた者に寺を託さねばなりません。法類末の寺から次の住職を引き上げなければなりません。末寺の住職にすれば、出世させて呉れないなら、法類も弟子も何の値打ちも意味も有りません。
自分の子に継がせたいばかりに、法務を縮めてでも弟子を取らない大坊ばかりになって
、勉強もしなければ世間の苦労も知らないボンボンが続出し、それが専業住職として宗門
の要職を占めている現実を、今からどうやって規正するかでしょう。上が詰まっていて誰が修行などしますか。

「貴方たちにそれをやる腹や根性は有りますか?」
・・・無いのだそうです。それがどんな問題であるかすら判って居ないようです。話を引っ込めるか、グンと暈かした規則にするか、どちっちでも良いそうです。それなら最初から現行の物をいじらない方が宜しい。規則や法律という物は、一度決めるとそれが独り歩きし始めます。
それを、私が何年も掛けて委員会に出し続けているのに、今更何と言うことを言うのですか!と庶務部長は激高します。しかし、大局観も見識もなく机の上でいじくって済むというのでは返答に困ります。
「つまり、これで安心して子供に継がせる事が出来ると大喜びする大坊の住職と、じっと順番を待って、やがては御前と呼ばれようと、じっと我慢していたのが諦めなくてはならない人が出るという事ですよ」
と解説して差し上げましたら、
「それなら止めておきましょう・・・」
簡単に言います。もしかしたら判ったのかしら。

いや、止めろと言っているのでは無いのです。宗務所に書類を出すときに誰の判子が要
るの要らないの、そんな事ではなく、バカボンでない、せめてまともな住職を育てて欲しいと言う、切実な問題ではありませんか。宗門にとって死命に関わる重要な問題です。簡
単に止めて貰っては困るのです。是非やって頂きたいものです。そうではありませんか?

素晴らしい知恵で案を出して下さいな。

東京別院に仏様が入りました

■議員報告
                            西山浄土宗宗議会議員
                            首都圏開教委員会委員   
                                    栗 田 利 竜

東京別院に仏様が入りました

【始めに】
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
さて、本山ではご法主推戴委員会で岩田御前の続投が決定したとの連絡が有りました。まだ2月にもう一度会議が有るそうで、また一揉め有りそうだとの報道も有りますが、他の二派ではそれぞれ続投が決まっているようで有ります。
直接の担当では有りませんので、ご報告はそれくらいにしておきます。

【東京別院】
1,東京別院に仏様が入り、入佛式が行われました。職員も一人、家族で赴任しました。建築につ いてご説明致します。 
A.何故不便な二階建てにし、エレベーターなど作ったのか?
B.弥生時代の倉庫か神式に見えるデザインです。屋根の載せ具合もおかしく寺院建築とは言えま  せん。
C.厖大な盛り土をし、不自然な地形にしていて、おまけに盛り土は酸性土で樹木が育たないと言  う事を業者から議長が聞き込んで来ています。
D.盛り土のお陰で、次に建つ建物は基礎工事に大変な費用を要します。
E.法面は全て土のままで有るのを議長がコンサルに問いただしたところ、叩き固めて有るから安  心との返事をしておきながら、早速本山に、草を植える費用300万円を出せと言ってきてい  るそうです。このように、このコンサルには全て金が掛かるよう掛かるよう運ばれています。
F.北側の空き地が宗教施設でなく資産税の対象であるから何か建てなければ成らないと言うが、
これは申請の仕方が全くの素人仕事で、空き地のある寺は何処にでも有ります。これはコンサ  ルの無智が原因なのです。
(資料 1 写真帳)
2,コンサル契約の写しを入手しました。                  (資料 2)
3,入札の記録と掛かった費用の明細を入手しました。         (資料 3)
4,委員会メンバーは実質私だけと成っており、和歌山には情報が入らず、不公平な状態です。
(資料 4)
5,委員会メンバーは御遠忌の他の委員会と同じく、総長の意のままに任命できるように成ってお り、公選制度ではありません。事業規模の大きさと金額を考えますと全く不適切であります。
また、入佛式が総長の手によって行われ、「入佛之疏」が、総長の名で読まれた事がそれを象徴し ています。 つまり別院の住職は総長だと言うことです。  (資料 5)
さて、東京別院は収入の宛が全然無いままに、横浜と併行して維持されることに成ります。横浜も自立しては居ません。建築は庫裏を急遽仮本堂にしたとはいえ、寺とは思えない建築だと、実際に見てきた知人の報告です。
是非、建築に判る檀家さんを伴い、皆さんが実際見に行って欲しいと言っています。 友人の話ではこれほどお粗末で無惨な建築は見たことがないとのこと、ともかく自分で行って見て参りましょう。