■議員報告 Vol.8
西山浄土宗 宗議会議員
栗 田 利 竜
もっと宗門を大切に
御忌会中に、岩田猊下のお居間に伺候いたしまして、ご機嫌を伺っておりましたところ、
教学部長が入ってこられまして、
「御前さん、先程のお話の・・・のところが、正確にはこうで御座いますから、お気を付けて頂きたく・・」
「・・そういう事でもあるかなあ・・気をつけましょう、はいはい」
と言うやりとりがあり、あとで、“・・貴方は今の話、どう思うかね?”
横で聞いておりまして、管長という物はなんと些細なことをしたり顔で指摘されなければならない物かなと呆れて居たのですが、私如きが評論する立場でもなし、苦笑しておりました。
ご法主は物理学(東大)の泰斗で、しかも学寮で宗学を究められた方です。おまけに説教師タイプではありませんから、起承転結を順に進めるような話し方はなさいません。聞く方は余程注意して、その意とするところを考えないと、話しておられる意味が、ともすれば理解の難しい趣のお話をなさいます。ですから、ともかく小さな事に拘ってはいけないお話なのです。
まして一山の管長です。その言葉は私たちにとって金科玉条、こうと言われたらそれは釈迦をはじめとする、列祖の言葉です。管長の口から出た言葉は是非を問わず私達は受け
入れなければなりません。それゆえに管長職は重責なのです。ですから、それなりの人物を推戴するか、もしくは何も仰らない方をあえて選ぶものです。
たとえ私の様な者であっても、お茶お菓子を出されて対面して居る客は正客です。そこへ身内話、それも注文など付けに来たら、例えそれが正論であろうとも、御前には一山を背負っている体面があります。私だったら「馬鹿者!」と言います。逆に、そんなことは誰もいないところでそっと言わないと聞いてくれないと思うのが常識ではありませんか。
どこの組織にも、前例、慣例などと百年一日の事をしたり顔で講釈し、さも自分が物知り訳知りで有るかのように振る舞う小人物は居るものです。ただ、相手を間違えてはいけません。本山では管長がルールブックです・・・どこかにそんな話がありましたね。ましてや、管長といえども言ってやれという下克上の気風が山内に蔓延していたりしたらそれこそ大変です。
現にそういう事が有りました。
昨年春、現管長の任期が来ました。推戴委員会が何回も開かれ、あれやこれやの人選話
が一巡して後、結局、現法主をもう一度という話になったのでしょう、総長やら委員長が現管長の下にお伺いに行ったそうで、
「アンタやりますか?」
「ウン、ワシやりたいワ・・・」
と即答したと有ります。
「西山」誌にはこう書かれています。
次期管長推戴について、前同委員会の最後に、岩田文有現管長の「推戴いただけるので
あればお受けいたします」とのご意向を持ち帰った各ブロックからの意見を聞いたが、いずれのブロックからも異論はなく、現管長のご意向を尊重するとの報告がされた。よって、採決に入り、委員会として現管長岩田文有僧正を次期管長として推戴することを全会一致で決定した。規程に則り、委員長から宗務総長に委員会の決定を報告し、宗務総長は直ち
に岩田文有僧正にその旨を伝え(委員長同行)、「謹んでお受けいたします」との承諾のご
返事を得た。今回の管長推戴委員会では初めての規程運用となり、委員問で条項の解釈
に違いがあるなど、様々な問題点があるとの共通の認識を得、今後宗会を通じ早急に規
程の見直しを諮っていくべきとされた。
この様なことは事務的な報告です。どこかですれば宜しい。公報であれば経緯は何とあ
れ、そこは、然るべき者が管長の下に伺い、
「衆目の一致するところ是非猊下にと言うことでございます。猊下におかれましてはご苦労でありますが、このまま前例先例にこだわらず、続き私達をお導き下さいますよう・・・」
と三顧の礼を以てお願いに行き、引き受けて頂きました・・・と、そう書かねばなりません。
それでこその値打ちではありませんか。たとえ泥沼の争いを水面下で繰り広げ、疲れ果てての挙げ句であろうと、公報は公報です。宗門の面目が有ります。規則だの手続きだの、
長々と経緯など書き立てるのもでは有りません。全くの小役人感覚で宗門という物を考え
ていません。
私などひねくれ者には、
「結局あんたにするからヤルカイ?」
と聞きに行ったら、
「ウン、ヤルヤル」とすぐに答えたゾ・・・
としか読めません。
それで公示が大きな字で「岩田文有僧正」です。辞任されていないのですから当然現役の猊下です・・・何時誰がクビにしたのでしょう。こういう非礼を、誰も言わない誰も責任を取らない、それが看過されるいい加減な宗門です。心ある門末はあきれ果てています。
今、葬儀無用論とか坊さん無用論とか、面白おかしく書き立てられ、仏教界には冷たい風が吹いています。寺院や僧侶の存在が問われているのです。軽い物になっているのです
。私達自身が率先して法をあがめ、法門を大切に、その値打ちを守らなければならない時
です。本山自らその値打ちを下げるような振る舞いなどとんでもありません。大衆の葬式
離れどころか、先に門末の本山離れが始まります。竜馬の「脱藩」がブームですが、「脱
宗」が起こり兼ねません。
何度も推戴委員会を開いたと公表するだけで、別の人物を担いだ勢力が居たとバラし、現法主の面目を潰している自覚も無いのです。800年という大変な折り目を迎える時に、中途半端な任期の切れ目となり、後任を思いやられ辞任をためらっておられた時です。だからこそ余計、神経を使って然るべき時でありました。そこには惻隠のかけらもありません。
普通なら義憤を以て席を蹴るところ、よくまあ堪えておいでであると存じます。
「すまんなあ、あれは甥っ子でなあ・・」
などと言われるのですが、それも困りますなあ・・・それを・・・。
本山の埋蔵金
2月の定宗の冒頭、御垂辞で法主が東京別院の納骨堂計画に触れられ、「いずれ埋蔵
金を宛てにしての事でしょうが・・・」と述べられ、その後で総長が慌てて、本山には埋蔵金なる物は一切御座いません」と打ち消されました。
そのすぐ後に上程されたのが、墓地会計と光明寺財団の解散、光明寺会計への繰り入れ
でした。
確かに、財団は十億以下の物は通常会計にして税金の対象にしようという財務省の方
針があります。しかし、それに乗じて早々と解散しなければならない物でもありません。墓地会計にしても、それこそ墓参者の為に駐車場の確保など、これからしなければならないことも沢山有ります。
問題はその金が光明寺会計の中へ繰り入れられ、議会がチェックしようにも、協議題として、使った後に承認を求められるだけという事になるのが困るのです。光明寺は東京別院という大きな宿題を抱えています。延々と資金を送り続けなければならないお荷物を抱えています。財団の解散や墓地会計の解散はそれこそ、その為の埋蔵委金作りと取られて
も致し方有りません。また現実に使ってしまう事になりそうです。二月までと約束された別院の経営見通しがまだ出されておりません。
特に光明寺財団は、元は”光明寺教育財団”と言い、かの関本御前が修徳高校、西山高
校などに次ぐ社会事業の為の基金として積まれたものと言うでは有りませんか。世の流
れとして財団の形が無理なら、特別会計として別に積んでおき、その遺志を継ぎたいもの
です。現に、今まで何度か有った、解散して使おうという話を、私達の先輩議員が必死に
反対して守り抜いて来られた歴史があるそうです。
これを支所長に話し、支所の意見としてまとめて欲しいと話しますと、
「一議員の意見など出せない、議員団でまとめて来い」と言います。問題意識も政治センスも何も無い話で、あとの言葉に詰まりましたが、地元10組の、そのお孫さんまで居る議員達もまだ何もいわないのです。いずれ6月の議会に提案致しますが、それまでに何とか、紀州の皆さんの総意として応援して頂きたいものと願って居ります。こう言うのが本当の“関本問題”ではありませんか。
字を読めない人が学者字イジメ
宗門の教学を大切に
2月の定宗で予算審議の際、教学研究所予算200万円のうち60万円あまりしか支出されていないのを問いただしますと、教学部長より
「今の教学研究所は機能しておりません。こんなパンフレットが一冊出ただけです。」
と言う発言でありました。
前教学部長時代、短大および研究所に連日教学部長が顔を出し、なにかと口出しをしているとの話は聞いておりましたが、教学研究所は法主直属の機関で、所長が宗務総長です。宗門の教学を司る機関として、最高の権威と地位が保証されている機関のはずですが、予算執行の事務担当にしか過ぎない教学部長が、さも自分の下位組織のように、上長の総長が所長である研究所を批判しています。
実態は出張旅費一つにもいちいちお伺いをたてさせ、嫌がらせ同様の扱いをしているのが実情のようです。わずか200万円とはいえ、議会で決定された予算です。全額使って当然の予算ですし、これでは資料代にも足りないはずです。勿論パソコン等の機材は全員自弁、良いところは短大のコピー機を自由に使わせて貰えるところだけと嘆いて居ます。
それでいて、35願が女性差別ではないかとの問い合わせに慌てて学階所持者全員にまで諮問を出し、それを集約さえ出来ずに返却したり、「関本全集」の皇国史観問題でもレポートを求めましたが、この件に関しては研究所は質問の意味と背景が判らず、内局も結局その力作を活用出来なかったようです。都合の良い便利使いをしようとするからです。
ちなみに研究所の実績について、私の求めに下記の報告書が回付されました。
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西山浄土宗教学部長殿
平成二二年二月二二日
西山浄土宗教学研究所
教学研究所:平成ニー年度研究活動状況
○昨年度に引き続き、西山上人御法語『定散料簡三重六義大意の事』の読解と現代語和訳の作業を続行。(毎週火曜日午後一時~四時於京都西山短期大学図書館棟三階研究室)
○ 西山浄土宗宗会で提起された問題について、レポート二通を作成し提出す。
○「教団付置研究所懇話会」関係:
◇第9回「生命倫理研究部会」大竹・日下・太田所員出席 テーマ「宗教教義から見た自死」仏殿(横浜市神奈川区)大竹・太由所員参加、日下所員は所用により参加予定を取り消す) 平成ニー年十月九日
◇日蓮宗現代宗教研究所:テーマ「『葬式仏教』を考える」大竹所員参加
於日蓮宗宗務院(東京大田区) 平成二二年二月九日
◇浄土宗総合研究所:公開シンポジウム「自殺と自死」太日所員参加於本山増上寺(東京・芝)平成二二年二月十五日
○ 論文発表:大竹所員 法語『鎭勧用心』の江戸期「末書」を読む
『西山学報』創刊号二〇〇九年
研究ノート:太田所員『鎮勧用心』末書における「悪人」に関する考察『同上』
○学会発表:太田所員発表テーマ「西山から見た自死問題考」西山学会
於京都西山短期大学 平成ニー年七月二日
○「環境問題に関する一考察」日本宗教学会 於:京都大学 平成二一年九月六日
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4人の仕事として立派な物ではありませんか、外部の団体や大学のシンポジウムに参加発表するためには、宗門としての対面があります、学会等と言うところは学問の他流試合ですから、凄まじい戦いなりの準備と理論武装準備に大変な労力が費やされているに違い有りません。
言うまでもなく副所長の大竹師などは宗門にとっては願っても得られない人材です。何カ国語かを駆使して教典を比較検討出来る宗教学者など、今の宗門には他に居ません。他派は知らず、光明寺では外の学会や大学で、学者として論文の通用する貴重な人材です。
その大竹師が、初めて総長と顔を会わせた時総長は
「研究所に対しては、成果に応じて予算を出します」
と言ったそうですが、予算は議会が承認していて内局は執行者にしかすぎません。 また、自分は研究所の所長です。意味も立場も全く理解を超えた、宇宙人的な発言であります。
宗門はもっともっと教学を大切に、学問に対する敬虔な姿勢を持って頂きたいものです。
これでは字の読めない人が学者イジメをしているような有様では有りませんか。
アホボンを公認するのか?
法類規定改正について
法類問題は世襲の問題です。これは誠に難しい問題で、今の佛教界が抱える宿痾とも
いえる難題です。歴代の内局も手を出せないまま後送りしてきました。
それを、宗制宗規をいじるのと同じようなノリで出来ると思っていたらしく、宗制宗規委員会に改正案が出されています。
もちろん地方によって支所によって事情は大きく違っています。それだけでも大変ですが、問題は住職の後継問題に大きく関わります。住職にとって後継問題は老後の暮らしをどうするかという問題です。本来なら弟子を養い、そのうちから勝れた者に寺を託さねばなりません。法類末の寺から次の住職を引き上げなければなりません。末寺の住職にすれば、出世させて呉れないなら、法類も弟子も何の値打ちも意味も有りません。
自分の子に継がせたいばかりに、法務を縮めてでも弟子を取らない大坊ばかりになって
、勉強もしなければ世間の苦労も知らないボンボンが続出し、それが専業住職として宗門
の要職を占めている現実を、今からどうやって規正するかでしょう。上が詰まっていて誰が修行などしますか。
「貴方たちにそれをやる腹や根性は有りますか?」
・・・無いのだそうです。それがどんな問題であるかすら判って居ないようです。話を引っ込めるか、グンと暈かした規則にするか、どちっちでも良いそうです。それなら最初から現行の物をいじらない方が宜しい。規則や法律という物は、一度決めるとそれが独り歩きし始めます。
それを、私が何年も掛けて委員会に出し続けているのに、今更何と言うことを言うのですか!と庶務部長は激高します。しかし、大局観も見識もなく机の上でいじくって済むというのでは返答に困ります。
「つまり、これで安心して子供に継がせる事が出来ると大喜びする大坊の住職と、じっと順番を待って、やがては御前と呼ばれようと、じっと我慢していたのが諦めなくてはならない人が出るという事ですよ」
と解説して差し上げましたら、
「それなら止めておきましょう・・・」
簡単に言います。もしかしたら判ったのかしら。
いや、止めろと言っているのでは無いのです。宗務所に書類を出すときに誰の判子が要
るの要らないの、そんな事ではなく、バカボンでない、せめてまともな住職を育てて欲しいと言う、切実な問題ではありませんか。宗門にとって死命に関わる重要な問題です。簡
単に止めて貰っては困るのです。是非やって頂きたいものです。そうではありませんか?
素晴らしい知恵で案を出して下さいな。
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