■議員報告 2010.7 Vol.7
宗議会議員 栗 田 利 竜
猊下が激しく御垂辞
6月28日、臨宗の冒頭、法主猊下が激しい御垂辞を述べられました。
たまたま私が議員報告8号で述べました、今期の法主選出にまつわる「西山」誌の記載に基づく、宗門の体面とマナーに関してであります。
かねてより、内局の姿勢と対外的な体面について危惧しておりましたが、身近な人達でもありなかなか言いにくい事で、ためらって居りましたが、あまりのことに意を決して報告させていただきました。もとより個人攻撃と取られることは心配でしたが、公職の事であり、宗門として看過できない事と思い発表したのですが、まさに猊下の御垂辞が、畏れ多くも申し合わせたかのごとく全面的に同じであり、更に詳細に渉る内容で、45分の時間を掛けて指摘されました。
猊下にしましても、ご自身の事であり立場も有りますから、なかなか言えない事を、公的に記録の残る場で、マスコミを前に発言なさったのですから、いかほど思いが深いか、そのご心中を計るに余りあります。
ともかく、僭越ではありますが、私の報告をお読みいただき、その一部でもお酌み取りいただきたいと存じます。「西山」誌には表向きの報告がなされるだけで、マスコミにも実情を伝える所はなかなか有りません。
こういう事があって、宗門の問題点と恥を晒すことになっても、総長が遺憾の意を表されましたが、その後内局の当事者達には何の動きも見えせん。本来なら、その場で所見と今後の取り組みを示すべきですが、このまま聞き流してしまうのでしょうか。
レッドカードを貰いました
さて、議事も進んで門末会の承認案に入り、そろそろ東京別院納骨堂の協議題に入ろうとした瞬間、東部の鈴木議員から緊急動議が出されました。結局6ヶ月の出場停止と言うことです。
私の議員報告が怪しからんと言うのです。最前猊下が御垂辞なされたことです。
もとより品位を汚す個人攻撃など、ことさら注意して書いたつもりですし、お互い公職上のことですから、時には不都合な事も書かねば論議になりません。猊下ならパスでも私では具合が悪い・・・と言うことでありましょう。
それにしてもタイミングが絶妙です。同僚議員は、休憩時間中鈴木議員が、懲罰委員長とヒソヒソ打ち合わせをしている姿を目撃し、不審に思っていたそうですが、お陰様で私は次の議題、東京別院の納骨堂計画案に対して意見を言う機会を無くしました。
こういうテクニック、手法は政治の世界では有るにしてもまれです。まして坊さんの世界でここまでやるかと思いますし、やれる人はまれです。宗議会もなかなかレベルが“高く”なりました。すっかりやられてしまいました。
勿論、議員報告の内容に関して謝罪とか撤回という事は出来ません。私が謝ったりしたら猊下の発言も具合が悪いと言うことに成ります。同僚議員に後事を託して懲罰に甘んじましたが、議員の議場での発言を封じると言うことは大変な事です。前例となることですから、懲罰を受け入れる条件に理由を書いた公文書による令書を求めて了承されました。懲罰委員長が如何なる風に理由を書かれるか、それをまた逐次ご紹介したいと存じます。
何でもこれは、宗議会史上初めての事らしく、前例も何も無いのだそうで、誠に不名誉というか、ある意味で歴史を作った訳ですが、推挙していただいた南部支所の教師各位に心より不徳をお詫び申し上げます。
また、関東開教委員ですが、これもまた参加資格を失うという事です。どうやらこれが目的のようです。煩いのが居なくなったとほくそ笑んでいる人がいるかも知れません。納骨堂にかける執念には感心いたします。
インターネットの使用はお咎め無しに
私にとっては大変な”言論弾圧”ですが、ここで特筆すべきは、インターネットの利用が、新しい媒体であり、理由がないので一切規制しないことが懲罰委員長から表明されました。
鈴木議員から出された譴責の理由が。「インターネットで宗内の情報を流した」と言う事でしたから、これも首尾一貫しない事ではありますが、これからはネットの利用が常識となり、日常的に欠かせない道具となり、また、組織、団体には情報の開示が必要不可欠となりますから、社会の流れに叶う組織として、当然の判断ではあります。
「今は取り扱いに基準がない」等と、不勉強、不都合の言い訳でなく、時代に即応した社会的なルールを基準としたいものです。
さて今、本山の宗務所には立派なインターネットのサーバー(インターネットの中継機)が鎮座しています。普通、24時間管理しなければならない自社サーバーには多額の費用と手間が掛かりますから、自前のサーバーを必要とするほど大量のデーターを扱わねばならない事業所以外は、無駄で贅沢なものと言えます。おまけに、自前のサーバーは安全性の面で不安を抱えると言うのが常識です。
尋ねてみますと、今のサーバーは800年遠忌の費用で賄われていて、本山光明寺が間借りしているという説明でしたが、肝心の遠忌のサイトは開かれていません。遠忌については光明寺のサイトの中に「遠忌執行本部が平成17年4月にスタート。毎月1回、遠忌執行本部定例役員会を開催し、より具体的な実践にむけてここまで3回の会合を積み上げてきました。」
と言う古い記載が有るのみで更新もなされていません。
800年遠忌は勧募が進まず、来年の決済が危ぶまれる事業もある始末ですが、本山にはこういう一部職員の趣味ともとられかねない、建前だけのお気楽な予算の使い方が散見されるのは勿体ない話です。
ともあれ、インターネットの使用は生活の上で不可欠と成っています。何も技術的な能力を全て担当者が持つ必要はなく、文章を書く能力と発信する意欲さえあれば、掲載は本職にまかせれば良いのです。お金を使って道具を揃えるのは道楽であって、その目的ではありません。もっと前向きに、綺麗事だけの観光サイトでない、宗門人も日常の用に使える前向きなサイトとし活用していただきたいものです。
まだ納骨堂ですか・・・
結局私は参加できなかった関東別院の納骨堂問題ですが、2月の定宗で発表すると約束された関東別院の運営見通しも出されない時点で、先走った提案などトンでもないと言うことで退けた計画がまた出され、大部の資料も配付されたようです。今まず納骨堂の申請を都に出すという件で、同僚議員の話では反対したものの賛成多数で押し切られたそうです。
資料は以前の、池にガラス鉢を浮かべるプランです。
事業費の目論見では工事費が1.5億円、全部売れれば売り上げが6億円弱、誠に結構な話ですが、これには何と販売経費も事務費も計上されて居ませんから、向こうから買いに来て呉れるのを待つということらしいです。全部売れる事は何十年先に有ろうかなという話で、あの辺鄙なところに、西山の檀信徒だけを相手に、単価60万、100万、150万円の価格です。夢のような話です。
町田の駅前にはすでに市内の何処からでも拝めるという9階建て1、344基の納骨塔が一区画40万円、寄付も管理費も不要、不要になればお金は還しますという超良心的な納骨塔があり、それでも半分空いているのです。
実際には納骨堂を企画する場合、寺が自分の檀信徒の中から、確実に見込める顧客で3分の1の販売量を見込んでスタートしなければ行き詰まると言うのが常識です。東京別院で納骨堂が話に出た時点で
「今の檀信徒で納骨堂が欲しい人は何人くらい居るのですか」
と本山の担当職員に尋ねますと、
「家族檀を欲しがっている人が2~3人居ます、その人達の願いに応えたいのです」
と言いますから、
「その二人のために本山が2億円出すのですか?」
と言ったことがあります。
関東の檀信徒は、当初600名あった檀家名簿を20年余で240に、町田にもう一つ寺を作りますからご寄進をと言った途端に124に減ったと聞きます。今回は請願書なるものが出ていましたが、それらも実際に購入してくれる積もりがある方達なのでしょうか。有った方が良いなと言うような暢気な事が許される状態ではありません。
さて仮に、世間並に3分の1が採算点とすれば2億円です。最低でも必要な販売経費5千万円は用意しなければ販売業務が出来ません、それで広告費無しです。東京での広告には膨大な資金が必要です。それで幸いにも売れたとして、初めて建設費だけがチャラです。その見込は有るのでしょうか。
おまけに、あの関東平野の中に泉水を巡らし、ガラス張りの納骨堂です、計上されている年間80万円の予算では空調機器のメンテナンスと電気代にも足りないでしょう。なぜ空調が最小限で済む建物にしないのでしょう。人件費を始め、経費を併せると経費は数倍です。それらが永久に別院の収入を食い、ツケは光明寺に廻って来ることになります。
如何に見た目の格好ばかりを追った無謀な計画で有るかが判ります。
それに、今回なりふり構わず申請を急ぐ理由は、もうじき墓地開発等の許認可が権限委譲で都から町田市に移るので、今の間に駆け込み申請しないと認可が降りなくなると言うのが理由です。当初から地元に歓迎される計画で無いのを自ら認めている訳です。こういうのは商売人か政治屋のやることで、宗教者のやることでは有りません。
関東別院のそもそもの目的は離郷檀信徒へのサービスと西山流の念仏布教で、横浜に最初の拠点が作られました。
法要、月参り等のお勤めが続けられ、それなり寺院の役割を地味に果たしていたと思います。250軒の檀家と言えば、市街部では結構に自立できる寺院です。それなら、そう言う寺を関東一円に増やして行けば宜しいのでは有りませんでしたか?格好を付けて大伽藍など、関東の方達は求めて居たのでしょうか?すでに答えははっきり出ています。
大金を投じてしまいました以上、今更、強引に計画を進めた関係者に損害を補填してくれと言っても叶わぬ事かも知れませんが、撤去して都に返さないなら今一度、本当に地元の人達が求めている形を考え、受け入れて頂く方法を考える事です。学会シンパのコンサルはじめ、間違った情報を元に宗門をリードした発願者に、本当に責任を取れと言いたくもなります。
開教というならまず街頭に立って獅子吼しなければなりません。法務と言えば骨身を惜しまず鉦を叩きに行かねばなりません。呼ばれるのを待つ様ではこまります。
たとえば、今話題の家族葬など、需要があり、関心も持たれているのです。納骨堂などの装置産業に投資するより、今困っている都民が居るなら、あの広大な空き地に家族葬向きの小ホールを幾つか並べるなど如何でしょう。更に、仕事のない若者にホール要員として働いて貰う、勉強して貰う、沢山養成して都内のホールに派遣する・・・仕事は幾らでもあります。ちなみに私が始めているホール要員(献茶婦)の派遣は好評です。求められている分野を探せば仕事は幾らでも有ります。
末寺単独ではなかなか出来ない教育や福祉の仕事も、本山であれば信用も資金も人材も何とかなります。鉦を叩きたければ都内に沢山ある葬祭ホールに、10万円、5万円で結構ですと言えば幾らでも叩かせて貰えます。開教師ですから、なりふり構う必要は有りません。あらゆる機会にご縁を求めるのは当然です。そこで布教すればご縁につながりますから、タダであっても出たい席ではありませんか。コミッションを幾ら払って・・・等と言っている様では恥さらしですし、格好ばかり付けて、開教師を呼び名や衣の色で飾りたててみても、そんな物を見てくれる人はいません。
今期も東京別院の決算は主たる横浜別院の収入を合算しておいて、人件費は計上しないと言うやり方です、前期は恥ずかしそうにしていましたが、今期は堂々と出しています。こう言うのを既成事実化とか開き直りと言うのでしょう。せめて光明寺の決算で東京要員の人件費が明示されて居れば内実が判るのですが、それが一括りに成っています。
今本当にやらねば成らないこと
2月の定宗で猊下が800年遠忌の事業に壇信徒に対する受け入れ施設、施策の欠如を指摘なさり、急遽信徒会館の改修が決まったようです。柴田内局の時代に、殆どの方向が決められていた遠忌事業計画ですが、多くが関東別院始め、短大、梶取等、外の事に費やされ、日下内局の時代に本山で目に見える事業が何も無いと言う声に、あわてて「蓮生閣」が計画されました。その「蓮生閣」は客殿であり、坊さんが使う座敷であり檀信徒が入る所ではありません。
そして蓮生閣が完成すれば、その縁側から釈迦堂西側の降り棟など、みすぼらしいところが露見してきます。
この様に、思いつきの施策は次々課題を呼びます。大局観に立った事業計画が望まれますが、今は来年の決済を勧募の進み具合に掛けている有様です。どう考えても採算の見込めない東京の納骨堂などに掛ける余裕は無いはずですし、駆け込み申請などの小細工などに頼らず、地元に受け入れられる計画をゆっくり練るのが教団としては正当なやり方です。まず火急の問題、やっておかねばならない補修などに予算を使いたいものです。
今回のご垂辞に対しても、誰も責任を取らない宗門です。内局にしろ議会にしろ、馴れ合いで事を運んでいては宗門の先が思いやられます。後世の審判に耐える事の出来る決断には、大変な勇気が要ります。
また先日は、東部の寺院でストーブの失火から庫裏を全焼するという、お気の毒な事件がありました。西山浄土宗ボランティアの会では前例から早速10万円のお見舞いを持って駆けつけました。本山からも庶務部長が駆けつけられたそうですが、ボランティアの会では、このような災害対策の事業は、本来本山の仕事であるとして廃止の方向で考えていたのですが、本山の公的なお見舞いは1万円だったそうです。昔、川崎総長が恥ずかしい思いで、ご自身で包みの中身を足したと述懐された金額そのままであったようです。おまけに、書式集の「災害被害届」と「被災寺院見舞金基金規定」というコピーが、支所長を通じて渡されたと言います。
災害にあい、これからどうやって再興しようかと思案をしているときに、被害金額、そのうち保険で保証される金額、檀信徒から勧募する金額、復旧に要する期間、賦課金減免延期を希望するか否か・・・これを提出しなさいと言うわけです。不足額は本山が面倒を見ようとかいうならともかく、復興の目処も付か無い時に、木で鼻を括るというか、逆に怒らせるだけのような仕打ちです。取り敢えずの見舞金が1万円でも結構、次に必要なのは復興資金です。提供できなければ貸与なりの方法でも、ともかく当の末寺を立ち直らせる方策を講じたいものです。
目から鱗、火が飛んだ
さて、光明寺財団が解散されます。会計士の報告に依りますと、名目上の残金は遠忌事業に3000万円支出して残り千7百万円余ですが、土地、株(阪急電車)、建物共済保険等で総計2億3千万円余のようです。
当時の趣意書等は開示されないのですが、ある方が「真空大僧正頌徳」という冊子と「信仰の友」昭和8年5月号のコピーを送ってくださいました。それによると財団への寄付第100回で、5百円、百円、80円・・・の数字で並んで居ます。当時のお金で60万円余集まったと言います。2千5百円でお堂が建ったという時代らしいです。今では想像も付かない実力です。
近年は支出が光明寺への助成金と、光明寺での法要費だけらしいですから、本来の仕事ではなく、延々と光明寺が経費として蚕食して来た訳です。
それはともかく、先日の「関本全集」にまつわる“個人攻撃事件”ですが、あるご老僧から戦争当時の話を伺っておりました中で、
「徴兵を拒否したら憲兵に引っ張られる、国を挙げて国難に立ち向かっている、そう言うとき、管長としてどういえば良いのか。他山他宗の管長が口を閉ざして何も言わない時に、我が宗の関本管長は発言してくれた・・・管長にああ言って貰ってみな戦争に行った。それ以来ワシらは時流時節で何も言わないのに、何も知らない若い者があんな事を・・・」
知覧の特攻隊基地跡へ、団体を組んでの“法要”を誘った人達を、パフォーマンスまがいと、今でも苦々しい思いをしている方です。戦争にはその当事者に、言うに言えない思いがあるのです。
次いで、ある学識者から大変な事を教えて頂きました。あの関本発言こそ、西山教義そのものの体現であると言うのです。関本師の『教旨叢談』を読んでみろと言われました。あの発言が証空教学であると言うではありませんか。ついでに言えば、私のこの議員報告なども西山教義そのものだと・・・不勉強な私にはその深い所までの意味はなかなか判りませんが、おおむねその概要を引用致しますと、
1,宗祖大師の教えは「時機相応の、・・大いに時機に相応した、・・能く当時の気運に投合した」ものであった。
2,国師弥天が「自家の職責として、自ら其の解釈の大任を担当するに至」り、「自家の教旨かく高調に語り且つ謳うた」のは、「畢尭当時教界の趨勢と社会の気運に乗じ、特に彼の念仏に物足らぬ心地するものの為に、百味の飲食を供え」られた、それは国師弥天が、「其時代の気運に応じて、教旨を宣伝」せられたからである。
3,しかし、徳川期の「時期相応」の改革は、「・・何事も単純浄土宗的に傾き、専ら外観の美を装い、且つ当時に都合よき、一時の糊塗策を用いたるの結果、終に一流の主義信仰までも、時流相応の風情に陥ったのであろう・・」と、「・・或いは時流に阿ねたといおうか、兎に角一流教旨の本領を無視したるの傾きがある、豈慨せざるべけんや」
私の粗雑な言い方で申しますと、法然は教団を打ち立てるために努力した。証空はそれを維持するための努力をした。そして徳川期の一連の諸改革。共に時代に応じた物を提供しようという心は同じで有りながら、今になってみれば一方は格好ばかり付けて大事な物を失っている・・・
学者で理屈っぽいと思っていた証空の教学が、実際は現場主義であり、逆に法然門下が形式主義になっていると・・・
それで判りました。宗制宗規に
第百七十二条 寺院はその実情に応じて公益事業をしなければならない。
第百七十三条 公共事業をするときは左の事項を具し宗務総長の承認を受けなければならない。その事項につき変更を生じたときも亦同様である。(記載事項中略)
第百七十四条 宗務総長が前条の承認をしたときは、これを公益事業簿に登載する。
第百七十五条 公益事業で、その業績が顕著であるものには、補助金を交付することができる。
「公益事業をしなければならない・・・」とわざわざ断定されて居るのは、我が宗が現場に即した菩薩行を前提とした宗旨で有り、ただお念仏を喜んでいればよいと言うことでなく、積極的に報恩の行をしなければならないという教旨なのです。
宗門が教学を大切にしなければならないのはここでしょう。そうしないと自分達の位置と姿と、しなければならない勤めが見えて来ません。せっかく先人が積んで下さった光明寺財団の基金です。教義に添った使い方を心得たいものです。
またも短大に延命輸血?
京都西山短大がいよいよ経営に困っているようです。800年遠忌で2億の輸血を行い、保育科の建物を建てましたが、経営には寄与しないままのようで、明らかに失敗、2億円は烏有に帰したようです。少子化の時代に短大卒保育士の需要が無かったのです。あろうことか、今期は受験願書が出たもの全部を合格者としてカウントしているとか、表に出来ない冗談のような噂までが聞こえてきます。実際の在学者数を知りたいものです。
お孫さんの関本議員に所感を聞きますと、光明寺財団解散を急ぐ理由として、「すでに幾つかお金を欲しい所が取りざたされ、短大が筆頭ですからね・・・」と、半分諦め顔、何だか物分かりの良い話ではありました。
幼稚園はまずまず、高校はスレスレ、短大はいよいよ・・・と言うことは聞いておりましたが、ともかくこれは気を付けなければなりません。応急措置で問題を糊塗しているうち、益々病状を悪化させるというのはよくある話です。
西山短大はいまさら「大学」に拘る必要はありません。一時も早く「学寮」に戻しては如何でしょう。そうすれば宗門で護持する理由が成り立ちますし、身軽になれば生きて行けます。ライフクリエイトコースと言うことで、またぞろ中国人学生を導入しようという話も有るようですが、中国人学生が学びたがるのは経済や医学、つまりお金儲けです。特にビジネスを学びたいと言うのが殆どで、宗教や学問をしたい訳ではありません。私の学校経営仲間も北京に事務所を持ち、学生の留学を扱っていますが、西山に連れてこようとすれば2年間日本語を学ばせ、経済学部等に入れる役割しか有りません。そして四大を卒業してアメリカへ博士号を取りに行くというのが、優秀な中国人学生の定番コースです。それに応えるには教員から入れ替えなければなりませんが、急遽看板を掛け換えた程度では、アルバイトが出来る市街部の日本語学校に行きます。ほとんどの中国人学生は稼がないと暮らせないのです。
短大はすでに法主猊下の尊父が、学生の時代にストライキを起こし、西山高校の地に移転を訴えた事件があったそうです。今から思えば大変な先見性ですが、当たり前です。学校も人の多いところに行かねば客は付きません。これを押しつぶした面々の無知と牢固が残念でなりません。
それから幾星霜、今は少子化の時代、大学はすでに多すぎますし、シビアな生き残り合戦に、素人経営で立ち向かえる時代でありません。また悪いことに、西短の場合、優秀でも都合の悪い教員を追い出すような人事が続き、昔に比べ人材が酷く手薄となっています。外部の学会や出版界に通用する人材、論文も無く、マスコミに登場しているのも、学長の節談イベント以外見かけたことがありません。
結局ここに至り、学寮として元に戻し僧侶の養成機関とするのが一番良いと言うことに帰結します。始めるに比べ撤退には更に大きなエネルギーが要りますが、誰かが決断しなければならない時期が来ています。
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